avectoi17’s blog

関西の大学3年生!私の思惑ブログ。

「あやうく一生懸命生きるところだった」

 

 

私がこの頃ずっと気になっている本のタイトルです。(はよ買って読めよって感じなんですが)

韓国で大ヒットして、日本でも翻訳され大反響を呼んでいるこのエッセイですが、この韓国人著者は40代を目前にして退職し、一生懸命生きることをやめたことをきっかけに書いたそう。

 

この、なんだかずっと大変で、広いはずなのに狭くて、気を抜いたら自分の居場所とか意義とかを見失ってしまいそうになる世界で、「あえて」一生懸命生きることをやめてみた、というこの著者の考え方、多分みんなが心の奥底で求めていたものなのかもしれません。だからこそこの強烈な「あやうく一生懸命生きるところだった」というタイトルに惹かれ、手に取る人が多く、共感を呼んだのではないかと思います。

 

私が本を選ぶときは本当に適当で、さらさら~っと本棚を見て、このタイトル気になる!表紙が好み!とかそんなんなんです。この本の強烈なタイトルと、個性的な表紙絵に惹かれまして、さらに韓国の有名アイドルをも買い求め、ベストセラーになったというのだから気になるのもおかしくないですよね。

 

早く読みたいな。

(そんなことより受験期のストレス発散の一環として本の買い溜めをしていたためにいっぱい未読の本が部屋にあって、正直本にごめんなさいの気持でいっぱいです。今はあまり当時の気持ちに共感して読み進める勇気がないですね。笑)

 

 

 

「あやうく一生懸命生きるところだった」

 

私は一度、(一度ではないけれども)母から物凄い諭されたことがあるんです。諭されたというか怒られたというか、𠮟責の一環だったというか。

 

「完璧主義やめなさい」って。

自分がいつも全部なんでも中途半端で、なんでも途中でやめてしまうから、それまで自分のことを完璧主義だなんて全くもって思っていませんでした。むしろその対称にいるのが私だと思っていたんです。

 

え?どういうこと?となった私に母は

「こうしないとあかん」って思ってるやろ。そうじゃないとあかんって思い込んで、やってること多いやろ。ほんでうまくいかんかったら嫌になってやめるんやろ。細かいところまでこだわりたくなるんやろ。ほんでちょっとうまくいかんかったからって投げ出すやろ。って。

 

自分の好きなことをやりなさい、やりたいようにやりなさい。こうしないとあかんっていうのはないねん。自分で決めつけとるだけ。

 

 

言われるまで気が付かなかった自分の思考回路でした。

 

 

 

でも言われて気づいたんです。

なんだか狭いって思ってたこの世界。なんだか生きづらいなんだかしんどくて大変で、「普通」に生きることがこんなにも大変なのかと感じていた自分がいました。

でも気づいたんです。その原因は自分で勝手に作っていたということに。

 

「こうでないとあかん」そう思うことは確かに多く、こうあるべきだこうするべきだ、常にこんな考え方だったんです。

 

だからこそ、全く柔軟じゃなかったし、人の意見を取り入れるのが苦手でした。自分の「こうあるべき」を覆されるのがこわかった。その先に何が起こるかなんて想像ができなくなるからです。

 

自分の「こうあるべき」というのの先は大体なんとなく、読むことができたんです。こうなるなって。でもそれを誰かによって覆されようものならそのリスクマネジメントができなくなってしまう…そんな恐怖もありまして、なかなかに固い、固執した考え方をしていたのだと思います。

 

 

それもこれも結構かなり、日本の教育によって形作られた考え方なのかなと思ったり。(責任転嫁)

こうしないと先生に怒られる、とかこうしたら先生が喜ぶ、とか分かってたし、こういう時はこう振舞っておけば大人から褒めてもらえる、とかこの場合はこうしていたら認めてもらえる、とか。そんな「無難」な「賢い」生き方というか、「普通」を強要されるような(されてないけどされてると感じていた)こども時代を過ごした(気がする)ので、余計に他の人に比べて、「こうあるべきだ」が強かったんだと思います。

 

小5くらいから普通に生きるのが何だかしんどかったし、家でも学校でも常に気を張っているみたいな状態だったし、この八方美人であろうとする自分に対してかなり悩んでいた時期もありました。

 

小学生の時の宿題はとっとと終わらせて(今の私からしたら全然考えられないな…遠目)普段の宿題も毎日全力でした。自習学習ノートは人より多くやっていたし(これも今の私からしたら考えられんな…)漢字ノートも出された宿題の倍をやっていたし、なんかよくわからん変な努力?親や先生から褒めてもらえて、認めてもらうための?努力??をがんばっていたのかななんて思います。(健気すぎるな)

 

でも中学生になって、やめてみたんです。というか普通に、急に英語ぶっこまれ初めて、宿題のやり方がわからんって状態に置かれて、何をどうしたら宿題ができるのか、宿題のシステムが分からん過ぎて、でもその時の私は頑張ることをやめたんです。(絶対このタイミングじゃないやろ…)急に意味わからんスピードでappleくらいしか知らんような外国語を学ばされて普通についてけなかったというのもあったんですけど、なんだか中学生になって急にふっとやめちゃったんです。(担任制じゃなく教科制になったのも大きな理由かも)

 

頑張ることをやめたんですよね。それから堕落もいいところです。高校生になるとついに提出物を殆ど出さなくなりまして、課題もやってこず、当てられてその場しのぎで考えるという生活を繰り返しました。アセアセ

 

どうせ卒業できるのはわかっていたし、大学受験でも使うタイミングもなかったので評定なんて全く気にせずに過ごしていました。まああああああひどいはひどかったんかな?(確かに順位とか見て少しショック受けてたけどそりゃそうやん!!って謎のポジティブが勝ってた)でも今では全く覚えてないくらいどうでもよくて、皆勤賞じゃなくても別にどうでもよかった。(小学生の時は皆勤にこだわってた)

 

そんな頑張ることをやめた自分が大学生になって、何が困ってるって、ぎっりぎりで単位を取ろうとしていることですよね、間違いなく。(笑)

あんな口酸っぱく課題出す癖をつけなさい、大学入って困る!って言われ続けてたのにその癖をつけないまま卒業したもんだから案の定…って感じ。(高校時代同じような境遇だった友人たちはみんな火を吐きそうな勢いで同じ境遇にいるの聞いて少し安心してるもんな…)

 

 

なんの話???

 

 

でも頑張ることをやめて、大人の顔色を伺うことも減ってから、私の性格は断然変わりまして、誰かを認めることができるようになったし、人の考えも柔軟に取り入れられるようになりました!

 

なにより、頑張ること、こうあるべき、というのを人に押し付けなくなったし、自分が狭いと感じていた世界を広げることができた気がします。

 

今まで(無意識的に、ですが)自分で自分を小さく制限していて、自分で世界を狭く見せていたことに気が付いたんです。母からの指摘を受けてその考えを改めようと意識的に口癖を変えたり思考を変えたりしてみると、案外生きることへの大変さを感じることが少なくなったんです。

 

 

この本のタイトルを見て、この母からの指摘を受けて、自分で自分を縛っていた縄をほどいたような感覚を覚えたのでつい、こんなに長々と書いてしまいました。

 

 

あんな時代の自分、えらかったなぁって。(笑)

視野

 

 

視野を広げてもらうって体験をたくさんした2021でした。私にとっては急に認識できる世界が広がった1年だったんです。

 

たくさんの初めましてを経て、私は本当にたくさんの経験をしたんです。させてもらったんです。飲食の、お客さんともコミュニケーションをとれるようなそんなアルバイトができて本当によかったなって思います。いろんなお客さんが色んなお話を聞かせてくれます。

そして勇気を出して足を突っ込んでみた東京のサークル。ここでの学びは大きすぎました。自分の大学のコミュではそんなに活発じゃないにもかかわらず、こっちへの活動にはなぜか自分から参加して、演説して役職を持つほど活動に意欲的に参加しています。(2022の目標は自分の大学でもっと友達を作ることです)

 

初めて東京に行きまして、初めて一人で飛行機を予約し、一人で搭乗しました。ドッキドキでしたね!!!!(今ではぎっりぎりに搭乗する私ですが)今では慣れたもんです。()

毎月のように東京へ「通い」、1週間滞在がデフォみたいな。(笑)大事件ですよね~

 

でもそれもこれも実家を出て一人暮らしをしていたからこそのすべての選択だったと思います。実家にいたらそもそも東京のサークルに入ろうだなんて考えもなかっただろうし、頻繁に東京へ、なんてこともきっとなかったと思うんです。そう思うと一人暮らしするって選択をしてよかったなって心の底から思います。

 

今では滞在させてもらうお家付近は自分の家の近所のように歩けるし、一人で横浜までいくこともできます。帰省した時にテレビで流れてくる、渋谷のスクランブル交差点は身近に感じます。東京の友人の住む23区や他県の地名が聞こえてくるとルンルンとしてしまいます。あんなに関東とは無縁の生活で、テレビの中限定で自分とは無関係だと思っていた世界と関わるようになって、変な感覚です。身近な話題として捉えられるようになりました。

 

慣れって本当に恐ろしいことで、最近は飛行機での1時間半は記憶を失ったかのように眠っているし、空港から新宿までも殆ど記憶がないんです。(気楽すぎて寝ちゃうから)もっと日々に学びと刺激を求める生活をしていきたいな!!

 

刺激を求めすぎて日常生活をないがしろにするのもやめないとですね。早寝早起きも目標として掲げておきます。

 

学びのある2022にしていきます。

無駄なこと

 

 

効率がいいことと無駄なことは切っても切り離せない関係だなって思うんです。

 

最初から効率よくやろうだなんて思わない方が良くて、無駄なことを経験したからこそ、効率を求めることができる、こう言っている人がいました。

確かに~!ってなったんでこれ、書いてます。

 

小学生の時、マーチングの練習を重ねるある日、先生がこう言っていました。「ダイヤモンドははじめはただの石の欠片で、それを宝石として売るときは無駄を削って削って、緻密に計算された形に、反射が反射して反射を重ねるようなそんな形に形成されることでキラキラと輝くみんなのあこがれるダイヤモンドができるんよ。だからまずは形があって、その無駄を省いてどんどん形成して形を整えていくイメージで練習していくんよ。」こんな感じで言ってた。とにかく最初は無駄だらけやけどその無駄をどんどん削って綺麗に仕上げるってことを伝えたいがためのたとえだったんです。

 

この言葉はイメージごと自分の中に大事な感覚として残っています。

 

だから初めから完璧を求めるな、みたいな話です、

 

 

無駄があってはじめてそれを無駄だと認識して、これからはその工程を省いていこう、効率よくやっていこう、そうやって学びが得られる、そう思いました。

 

はじめは雛形で、それから自分のオリジナリティを混ぜ込んでいく、みたいな。数学の担任もそう言っていました。一番強い型ですよね。基礎も大切にしつつ自分みを含みつつで。

 

無駄はあってもいいんだって、無駄を省かないと省かないとって無駄を除外することに必死にならず、無駄を省くためにはまず「無駄だ」との認識が必要です。もちろん、いつまで経っても無駄だと認識している工程をそのままにしているのは愚か者です。でも「無駄なこと」は決して無駄ではないんだってそう思えれば、もっと寛容に生きられるのではないかなって思います。結構無意識的にあたりまえなお話だったかもしれないんですけどこれは言語化しておきたかった…

 

うまく言語化できたかな…伝わったかな…????

たしかにいつも明日はやってくる

 

 

「たしかにいつも明日はやってくる

でももしそれがわたしの勘違いで

今日で全てが終わるのだとしたら

 

わたしは今日

どんなにあなたを愛しているか

伝えたい

 

そして

わたしたちは

忘れないようにしたい」

 

これはとある火災で命を落とした消防士が肌身は出さず持っていた言葉だそうです。

 

刺さりますね、ものすごく。

普段から素直じゃない私は(母親から素直じゃないうえに生意気な娘って言われてる)両親に対してありがとうを常に欠かしてたし、ごめんも言えなかったし、なんだか気恥ずかしくてなかなか言えなかったんです。それに自分の気持は殆ど隠してしまって、どれが本心なのか自分でも自分を欺きすぎてわからなくなっていたんですよね。

 

一人暮らしを始めて、両親や家族の存在が毎日のあたりまえじゃなくなってからは結構頻繁にありがとう、ごめんを言えるようになりました。

 

「おいしい」この言葉はなんだかなかなか言えなかった言葉でした。言えばいいのに、言ってもらえると嬉しいのに、それを知っているのに、なんだか気恥ずかしくて言えなかったんですよねこれまでは。でも言えるようになった。

 

当たり前が当たり前じゃなくなった時、その存在の有難さに気が付くんだなと実感しました。

 

 

アルバイトをしていて、とあるおじいさんに説教されたことがあります。(怒られたんじゃなくて教えを説かれたことがあるんです)

 

「お姉ちゃん、当たり前の反対は何かわかる?」って。

なんでしょう…??当たり前の反対か、普通とかいつもとかそういう感じですかね、と答えると

「当たり前の反対は“ありがたい”ってことやで」って。

なんだか説得力があった。

 

 

消防士さんの話とこのおじいさんのお話とが相まって、当たり前だと思っている、当たり前にいて、当たり前に大切な人たちには素直でいうようって思ったんですよね。ちょうど同時期に出会った言葉たちだったので。当たり前はいつ当たり前じゃなくなってもおかしくないのに、その当たり前を明日もこれからも確約しているわけじゃないのに、どうしてこういつも当たり前だと勘違いして後回しにしてしまうんだろうって考えると、やっぱり「当たり前」への「ありがたさ」を忘れているからだと思ったんです。

 

これからはできるだけホットな気持ちを温かいうちにお届けしたいなって思いました。特に当たり前に大切な人たち宛には。

バイトの分際で異動した話-人生の大先輩からの有難いお言葉

 

前のお店でのラストの日。

前のお店が開店してから今までずっと働いておられる主婦さんがいたんよ。お孫さんがいるとか。そんな〇〇さんは本当に面倒見がよくて、人の動きをよく見ていて、いいところはものすごく褒めてくれて、ダメなところはだめだとはっきり言ってくださる、そんなあのお店のおばあちゃんというか、そんな素敵な人がいたんよね。

 

誰かから〇〇さんがあなたのこと、気の利く子や~ってめっちゃ褒めてたでって言ってくれたんよ。そう思ったエピソードも添えて。そんな細かいところまで見てくれてるんや!!って思ったし、それを他の人に伝えてくれてたなんてって驚いちゃった。

 

そんな〇〇さんは、ラスト出勤の日に私に向けて5分ほど、人生の先輩として話をしてくれた。(卒業していく学生バイトにはいつもする話だそう。)

 

 

 

「好かれようとはしなくていい。嫌われない努力をしなさい。」

 

人に好かれようと媚び売ったり、いい人面したりしなくていい。ただ、嫌われるとなると都合が悪いことが多い。素直に、元気に、誠実に過ごしてれば嫌われるべきじゃない人に嫌われることはないと思う。あとニコニコしてるのをみて気が悪くなる人はいない。だからぶすっとしとらんとにこにこしながら気遣いのできるような人になりなさい。あなたはよく気が利くし、面倒見もいいし、周りをよく見てるし、にこにこして素直やから心配はしてないけど、色んな人がおるからね。頑張るんやで。

 

あといい男見つけよ~!

 

 

 

こう言ってくれた。

好かれようとしなくていいって言われて、なんかすんってした。嫌われない努力をする方が得意かもしれない。こう、細かいところまで見ててくれて、ほんと半年間しか一緒に働いてないのに温かい言葉をくださって、いいところにいたんだなって。嬉しかったって話。

アルバイトの分際で転勤した話。

 

 

私は7月からとある飲食店でアルバイトをしている。少し遠いところで働いていた。家の扉を開けてから「出勤」と打刻するまで1時間とちょっとかかる。個人的には10分くらいが理想だった。

 

電車に5分揺られ、バスに10分揺られお店に辿り着き、30分かけて着物に着替える。(最初は冗談抜きに着付けに1時間かかっていた)インの1時間前に更衣室にいなければ間に合わない、みたいな感じだった。でも私の場合、省くとこは即座に省いてしまったので最短10分で着替えたこともある。

 

交通費は全額支給じゃないし、私以外みんな自転車で来てるし、みんな実家暮らしだし、なんか他店と比べて時給が低いし、で、遠いからとの理由で店長に転勤の相談をした。大忙しの年末年始はいてほしい、それ以降の移動ならエリアマネージャーに相談する、と言ってくれたのでルンルンで承諾した。

 

このお店では本当に、人に恵まれすぎていた。同期はたくさんいたし、1回生も今では6人になっていたし、学生バイトは仲良しですごく楽しくて、主婦さんも面倒見の良い、楽しい人が多かった。加えて店長も事情をよく理解してくださる方で、私のことは両親から預かっているって認識でたくさんお世話になった。料理長や副料理長、デシャップの方でさえ、私は大好きで、厨房関連の方々ともたくさん笑いながら働いてきた。個々の常連さんとも話ができるようになっていて、またいらしたんですね!なんて声を掛けられるようになった。

 

年末年始の繁忙期には馬鹿忙しかったけど6連勤を終えて、前の店舗とはさようならした。

 

最終日は店長の誕生日だったので店長はお休みでした。残念っ!!

 

もともと住まいの近く?(と言っても少し距離があるけれど)の店舗に移動したかったのだが、たまたまエリアマネージャーの方からこっちの店舗に移らないか?との話をいただいた。そのお店ではコロナの影響を最大限に受けていて、人手が足りないとの状況だった。時給も上がるし、人も足りてないし、どうだろう?って。

 

時給が上がるのは万々歳だったが人手が足りていないって聞いて、役に立ちたい!そう思った自分がいたのは間違いなかった。(少し美化しすぎたかもしれないけど、実際に応援要員としてそのお店で働いたとき、ここで働きたいと強く思った)

 

私がもともといたお店はファミリーのお客さんが多く、割とゆったりとしたところだったが、これからのお店はオフィス街にあり、接待とかで使われるようなオジサン率高めなお店で、割とせかせかとしていた。(2軒目にいくから何時まで、とか接待とかでピリピリしてるから早く飲み物もっていかないと、とか)でもお酒が入ってしまえばこっちのもんで、会社のお金を使っているのもあってか、気が大きくなったオジサンたちはたくさん話をしてくれて、たくさん注文してくれて、どんどん金額が大きくなるし、色んな経験談とかお話を聞かせてくれる。個人的にはオジサンと話すことに対してそこまで抵抗がないから、というかむしろ得意だから、無言でいられるよりずっといい。

 

確かに前のお店での人間関係は本当に良好で、同期は最高で、「バイト先の人」だけでは収まりきらないほど大好きな人たちで、そんな人たちと離れるのは少し寂しかったけれど、新たな環境に身を置いて、また一から人間関係を作っていくってところに関してはワクワクでいっぱいだ。

 

これから新しい着物に身を包んで、新しい環境の中でどんどん成長していけたらなって思う。学びのあるバイトって楽しいねすごく。

 

 

独占欲の化身

 

独占欲が強い。これは私の大きな特徴のひとつだ。
嫉妬しがち。これも独占欲が強いという私の大きな特徴の副産物的な特徴だ。

そんな自分の性格は認めたくはないけれど、仲の良い友人からはそう分析され、自覚せざるを得ない状況だ。
相手が恋人ではなく友人であっても、その友人が親しい私とは別の友人と遊んでいるときでさえ嫉妬するのだ。自分の嫉妬深さにため息が出る。独占欲が強いが故の嫉妬深さ。これはなかなかに鬱陶しい。

私には中高同じの親しすぎる仲の友人が3人いる。大学生になってバラバラの生活を始めてからより一層、彼女らの存在の大きさに気づかされた。彼女らにも彼女らの友人がいる。そんな彼女らが私以外の友人と遊んでいるのをみると、彼女らの口から他の仲良しさんの名前が出ると、途端に自分の存在意義を見失う気がするのだ。これは過剰表現すぎたかもしれないが、少なくともああ、私はこの人の1番にはなれないんや…って思ってしまうほどに「重い」人間なのだ。

自分でもため息が出てしまう。

誰かの「1番」が欲しい。独占権が欲しい。特別枠への招待券が欲しい。
重たすぎるけれど、そう願ってしまうほど人を信じることへの大きな恐れが私にはある。

人に裏切られたとか人が信じられないとかそういうことではない。ただ、確実性が欲しくて。ただ、安心材料が欲しくて。ただ、私のことを絶対に大切にしてくれる人が欲しくて。

ああ、文字に起こせば起こすほどものすごく自分の執着心の強さと言うか、独占欲の強さと言うか、重たさが際立ってきてしまう…けれどこれが私の本心だったりする。
だから、この人の1番にはなれない、特別枠へ招待してもらえない、そう思うと咄嗟にその人に興味がなくなってしまうのも私の短所のひとつだと思う。

私にとっての1番の枠も一つしかないし、特別枠も数が限られているというのに相手にそれを求めるなんて馬鹿げている。そう思うのに。

だから私は勝手に、相手の「〇〇枠、1番」って位置づけで自分を納得させようとする。そんなことでもしないと自分がなくなってしまいそうで、自分の存在意義を見失ってしまいそうで。

「あなたが特別だ」「あなたが一番だ」その言葉に安心を求める私は、本当に愚かなのだろうか。そんな見た目は薄っぺらい言葉であっても私はそれにすがりたくなるくらい脆い人間なのだ。

それに気が付いてからこれまで、私は自分の居場所を探し続けてきた。

これからもそんな私をも受け入れてくれて、大切にしてくれるような人たちの中に自ら身を置きたいと思う。私は私らしく、こんな私の一面をも自分だと受け入れられるように生きていきたいな。