avectoi17’s blog

関西の大学3年生!私の思惑ブログ。

YouTube大学 -中田敦彦

 

 

こんにちは~!!春の陽気も感じられてだんだんとあたたかくなってきましたね。

これからが楽しみ!!!!

 

今日はYouTube大学について書いていこうと思います。

YouTube大学とは何ぞやってところからなんですけど、これは私の好きなYouTubeチャンネルです。オリエンタルラジオ中田敦彦さんがめちゃくちゃわかりやすく色々を開設してくれる、そんなチャンネルです。(長い尺のものが多いんですけどだからこそCMがめちゃくちゃ入ってプチストレスだったのでこのチャンネルのためにプライムにしたくらい推してます)

 

日本史とか世界史のめちゃくちゃコアなところを取り上げたり、大まかな流れを取り上げたり、ビジネス本を要約してくれたり、現代社でホットな話題を取り上げたり、誰か有名人を招いてその人の考えを聞き出したり、とコンテンツがバラエティに富んでいることに加えて、内容も充実しています。日本史の大嫌いだった高校生時代もこれを聞いてなるほど!ってなったり、読書から少し遠ざかっていた私ですがめちゃくちゃ簡潔にまとめてくれてその本を読んでいなくても読んだ気になれたり、なによりたとえが分かりやすく、聞いてる人を飽きさせない芸人魂というか、一人で話しているのにめちゃくちゃ語り掛けてくれたりしてとにかく工夫がすごいんです。

 

話す内容をホワイトボード1枚に毎回綺麗にまとめてきているのもすごい。

 

とにかく見てて飽きないし、長いくせに充実していてつい聞き入ってしまう。そんな動画がたくさんあります。

 

皆さんも一度YouTube大学を受講してみてはいかがでしょうか!

youtube大学 - YouTube

 

最近見て面白いなって思ったやつ!

【ショート動画時代①】YouTubeShorts vs TikTok vs Reels…メディアの次の覇権を担うのは一体どれだ? - YouTube

 

勝手におすすめだけしておきます。次回はYouTube大学からの学びについて書こうかなって思ってます~!お楽しみに!

In the Morning – Mrs. Green Apple

 

 

ミセスの中で一番好きで何回も聞いた、In the Morningの歌詞について書いていきます!

 

サビでめちゃくちゃ沁みるし、ひとつひとつの言葉が沁みてきて、受験生の頃は夜の帰り道に自転車を飛ばしなら聴いていたのを思い出します。受験期に聞いていた曲って何となくその頃の感情がこみ上げてくるのでその曲自体を遠ざけてしまっていますが、このIn the Morning だけは今でも聞き続けています。

 

ほんっとに歌詞がめちゃくちゃ沁みてくるんで是非一度聴いてみてくださいね!

 

www.youtube.com

 

早速歌詞いきまーす!!!

 

 

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リーダーシップ

皆さんはリーダーシップと聞いてどんな人を思い浮かべますか??

 

個人的に結構面白いなと思ったのを共有します。高2の時にやったやつかな?この下のみたいな画像を見せられて、この3人の中で「リーダーは誰だと思いますか?」と聞かれたんです。

 

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リーダーは誰??

誰だと思いますか??

その場では男の子→男の子→私の順で当てられました。

 

男の子1

「一番下だと思います。みんなを支えるのがリーダーだから」

男の子2

「一番上だと思います。みんなに指図するのがリーダーだから」

「真ん中だと思います。全体をよく観察して全体の状況を把握して的確に指示したり動いたりするのがリーダーだから」

 

私が答えるときには男の子たちはちょっと不服そうな顔をしてました(笑)

問を投げかけてきた大人は満足そうな顔をしていました(笑)

 

そして大人は言いました。「皆さん正解です!」

色んなリーダーの形がある。理想のリーダー像もその組織によって異なってくる。

って話をしてくれました。

 

何となく察していましたが、面白いなって思いました。

 

 

私は幼いころから自分のことを精神年齢の高い少し生意気な子どもだと自覚があったし、周りからもリーダーの素質があるねと褒めてもらっていました。いいところ見つけでは必ずと言っても過言ではないほど「リーダーシップがある」と書かれたものでした。通知表にも毎回のように書かれていて、先生はそんな私の一面しか知らないのか…なんて思っていました。(笑)生意気にもほどがあるでしょ…

 

私は疑問でした。ずっと疑問だったんです。

みんなの前に立って何かを進めるのは好きだったし、リーダーになることに対しての抵抗は全くなかったしむしろ進んでやっていたし、得意だと思い込んでいました。他の人がまとめ役をしているのを見ているともどかしくて、こうしたらうまくいくのに…ってなって途中からその役割を横取りしてしまったこともありました。(よくない…)

 

でも。いくらまとめ役を引き受けても私の中では全く解決しないことがありました。

 

「リーダーってなんだ??」「どんなリーダーがいいんだ??」

 

この問が消えないまま私はリーダーを自分から進んでやっていました(大丈夫そう??)

 

リーダーって立場ってほんと、組織によって全然違う役割をすると思うんです。会社のリーダー、つまり社長的立場の人はたぶんきっと大企業であればあるほど暇だと思うんです(言い方)リーダーの下に常務や専務や部長や課長といったサブリーダー、のサブリーダー、のサブリーダー、、、みたいな感じでどんどん責任というかやるべきタスクと言うか色々が分担されていくのでたぶん社長は暇なんです()

 

あらゆる人のもとに束ねられる人たちがいて、その束ねられる人の多さとかキャパとか個々の能力とか素質とかそういうのによって求められるリーダー像って全く異なると思います。

 

「リーダーの在り方」みたいな本をいくつか読みました。こうあるべきだ、って。一番しっくり来たのは心理学の本でした。束ねられる人たちや求められている状況を考慮するとある程度の理想像はあり、こういう目的があるのであればこういうリーダーがいい、うまくその目的を果たせる、とありました。(雑)

 

私はリーダーとはどんな人が向いていて、どんな人がリーダーになるべきなのかとか、考えるべきところとは違うところにフォーカスをして考えていましたが、確かにそのどこのリーダーになるのか、と言う視点が一番大切だということに気が付きました。

 

 

そういう過程を経て、私はリーダーという立場の在り方に対して柔軟な考えを持つようになって、自分もできるだけ柔軟に対応できるような人になりたいなって思うようになりました。私自身、組織マネジメントは得意ではないのですが、やはり組織を作り上げていく過程には深く携わりたいと思うのです。だからこそもっと本を読んでもっと色んな人の意見を吸収して広い視野を持ちたいなと思います。

 

 

本日もお付き合いいただき、ありがとうございました!

行動力のある人に

 

比較的私は周りから見たら「行動力のある」人間なのかもしれない。

 

こう感じる理由は周りからそう言われるからです。

 

東京のサークルに入ったからと言って別に絶対に現地に行かなければならないわけじゃなくて。そうしたからって別に行動力があるとは思わないんです。

みんながその行動を根拠に私のことを「行動力のある人間だ」と表現してくれるのは嬉しいけれど、私は納得できないんですよね。

蛇足だとも思いません(笑)私にとっては重要な過程だったので。

 

 

 

真の行動力のある人間になりたいなとふと思いました。

 

 

 

私の思う、「行動力がある」とは。

何だろうって考えたとき、やりたい!って思ったことに突き進んでいる同級生が浮かびました。この好きなことを頑張っていきたいってそう胸を張って宣言する友人が浮かびました。そして、この夢を叶えるためにこんなことをしてみたい、と思い描いている先輩が浮かびました。

 

自分の意思で、自分が進みたいと思った方向へ突き進もうとする力…

(表現力が乏しすぎて伝わりきらないかもしれない…)

 

その点、このブログに関しては自己評価としては「行動力があった行動」のひとつだと認識しています。やりたいと思って始めて、やりたいと思って続けてるので。

 

やらされて文字が書けるようなそんなデキる人間ではないので。

 

 

私は2021をある意味有意義に過ごし、ある意味無駄に過ごしたという自負があるので、2022はもっと自分に向き合い、自分を追求し、行動力のある人間を目指したいなと思いました。(こんなことを書き綴っている今はすでに1月23日。2022はすでに23日も無駄にしました。笑)

 

「そのために」がなく、終わってしまうのがいつもの私ですが、やはり人間の脳ってすごいもので、その繰り返してきたミスをちゃんと覚えているんですよね。(笑)

「やりたい」が先行するだけ先行して、「そのために」の行動なくして、だらだらと過ごしてしまい、結果として「やりたい」を達成せず何がやりたかったんだっけ??が残ります。

 

でも特に思い入れもなく始まり、気が付けば終わりを迎えているので特に後悔せず…って状況をミスだと認識して一応形式上「後悔」をして学んでいる私の脳、やっぱ賢いかも…(笑)

 

 

「行動力のある」人間になる。「そのために」はまた明日考えようと思う。(学ばんやつ…)

 

 

 

追記)

2022が始まって23日を無駄にした、と書きましたが、別にこれをマイナス評価する必要はないと思っています。

私のモットーのひとつに「人生に無駄はない」とか「遅すぎるときはなくて気が付いたときが一番早いタイミング」とかそういうのがあります。(これをモットーって言ってんのちょっと恥ずかしいけど自分の物事をはかるためのひとつの基準です)

 

この「無駄にした」という感覚から学ぶことは多いし、だからこそもっと毎日を大切に生きようって思えるはずです。また「もっと早くこうしていればよかった」「もっと早く知りたかった」とかそういう感情に襲われることがあると思いますが、それまでの色々な経験や過程を通して『それ』に出会えた/知り合えた/わかった/気が付いたことなんです。だからこのタイミングがベストで、気づいたこのタイミングこそが最速のタイミングなんです。

 

そう思えるようになるともっとゆとりをもって自分のことを評価できるようになるんじゃないかなって思うんです。

 

以上!!!

「あやうく一生懸命生きるところだった」

 

 

私がこの頃ずっと気になっている本のタイトルです。(はよ買って読めよって感じなんですが)

韓国で大ヒットして、日本でも翻訳され大反響を呼んでいるこのエッセイですが、この韓国人著者は40代を目前にして退職し、一生懸命生きることをやめたことをきっかけに書いたそう。

 

この、なんだかずっと大変で、広いはずなのに狭くて、気を抜いたら自分の居場所とか意義とかを見失ってしまいそうになる世界で、「あえて」一生懸命生きることをやめてみた、というこの著者の考え方、多分みんなが心の奥底で求めていたものなのかもしれません。だからこそこの強烈な「あやうく一生懸命生きるところだった」というタイトルに惹かれ、手に取る人が多く、共感を呼んだのではないかと思います。

 

私が本を選ぶときは本当に適当で、さらさら~っと本棚を見て、このタイトル気になる!表紙が好み!とかそんなんなんです。この本の強烈なタイトルと、個性的な表紙絵に惹かれまして、さらに韓国の有名アイドルをも買い求め、ベストセラーになったというのだから気になるのもおかしくないですよね。

 

早く読みたいな。

(そんなことより受験期のストレス発散の一環として本の買い溜めをしていたためにいっぱい未読の本が部屋にあって、正直本にごめんなさいの気持でいっぱいです。今はあまり当時の気持ちに共感して読み進める勇気がないですね。笑)

 

 

 

「あやうく一生懸命生きるところだった」

 

私は一度、(一度ではないけれども)母から物凄い諭されたことがあるんです。諭されたというか怒られたというか、𠮟責の一環だったというか。

 

「完璧主義やめなさい」って。

自分がいつも全部なんでも中途半端で、なんでも途中でやめてしまうから、それまで自分のことを完璧主義だなんて全くもって思っていませんでした。むしろその対称にいるのが私だと思っていたんです。

 

え?どういうこと?となった私に母は

「こうしないとあかん」って思ってるやろ。そうじゃないとあかんって思い込んで、やってること多いやろ。ほんでうまくいかんかったら嫌になってやめるんやろ。細かいところまでこだわりたくなるんやろ。ほんでちょっとうまくいかんかったからって投げ出すやろ。って。

 

自分の好きなことをやりなさい、やりたいようにやりなさい。こうしないとあかんっていうのはないねん。自分で決めつけとるだけ。

 

 

言われるまで気が付かなかった自分の思考回路でした。

 

 

 

でも言われて気づいたんです。

なんだか狭いって思ってたこの世界。なんだか生きづらいなんだかしんどくて大変で、「普通」に生きることがこんなにも大変なのかと感じていた自分がいました。

でも気づいたんです。その原因は自分で勝手に作っていたということに。

 

「こうでないとあかん」そう思うことは確かに多く、こうあるべきだこうするべきだ、常にこんな考え方だったんです。

 

だからこそ、全く柔軟じゃなかったし、人の意見を取り入れるのが苦手でした。自分の「こうあるべき」を覆されるのがこわかった。その先に何が起こるかなんて想像ができなくなるからです。

 

自分の「こうあるべき」というのの先は大体なんとなく、読むことができたんです。こうなるなって。でもそれを誰かによって覆されようものならそのリスクマネジメントができなくなってしまう…そんな恐怖もありまして、なかなかに固い、固執した考え方をしていたのだと思います。

 

 

それもこれも結構かなり、日本の教育によって形作られた考え方なのかなと思ったり。(責任転嫁)

こうしないと先生に怒られる、とかこうしたら先生が喜ぶ、とか分かってたし、こういう時はこう振舞っておけば大人から褒めてもらえる、とかこの場合はこうしていたら認めてもらえる、とか。そんな「無難」な「賢い」生き方というか、「普通」を強要されるような(されてないけどされてると感じていた)こども時代を過ごした(気がする)ので、余計に他の人に比べて、「こうあるべきだ」が強かったんだと思います。

 

小5くらいから普通に生きるのが何だかしんどかったし、家でも学校でも常に気を張っているみたいな状態だったし、この八方美人であろうとする自分に対してかなり悩んでいた時期もありました。

 

小学生の時の宿題はとっとと終わらせて(今の私からしたら全然考えられないな…遠目)普段の宿題も毎日全力でした。自習学習ノートは人より多くやっていたし(これも今の私からしたら考えられんな…)漢字ノートも出された宿題の倍をやっていたし、なんかよくわからん変な努力?親や先生から褒めてもらえて、認めてもらうための?努力??をがんばっていたのかななんて思います。(健気すぎるな)

 

でも中学生になって、やめてみたんです。というか普通に、急に英語ぶっこまれ初めて、宿題のやり方がわからんって状態に置かれて、何をどうしたら宿題ができるのか、宿題のシステムが分からん過ぎて、でもその時の私は頑張ることをやめたんです。(絶対このタイミングじゃないやろ…)急に意味わからんスピードでappleくらいしか知らんような外国語を学ばされて普通についてけなかったというのもあったんですけど、なんだか中学生になって急にふっとやめちゃったんです。(担任制じゃなく教科制になったのも大きな理由かも)

 

頑張ることをやめたんですよね。それから堕落もいいところです。高校生になるとついに提出物を殆ど出さなくなりまして、課題もやってこず、当てられてその場しのぎで考えるという生活を繰り返しました。アセアセ

 

どうせ卒業できるのはわかっていたし、大学受験でも使うタイミングもなかったので評定なんて全く気にせずに過ごしていました。まああああああひどいはひどかったんかな?(確かに順位とか見て少しショック受けてたけどそりゃそうやん!!って謎のポジティブが勝ってた)でも今では全く覚えてないくらいどうでもよくて、皆勤賞じゃなくても別にどうでもよかった。(小学生の時は皆勤にこだわってた)

 

そんな頑張ることをやめた自分が大学生になって、何が困ってるって、ぎっりぎりで単位を取ろうとしていることですよね、間違いなく。(笑)

あんな口酸っぱく課題出す癖をつけなさい、大学入って困る!って言われ続けてたのにその癖をつけないまま卒業したもんだから案の定…って感じ。(高校時代同じような境遇だった友人たちはみんな火を吐きそうな勢いで同じ境遇にいるの聞いて少し安心してるもんな…)

 

 

なんの話???

 

 

でも頑張ることをやめて、大人の顔色を伺うことも減ってから、私の性格は断然変わりまして、誰かを認めることができるようになったし、人の考えも柔軟に取り入れられるようになりました!

 

なにより、頑張ること、こうあるべき、というのを人に押し付けなくなったし、自分が狭いと感じていた世界を広げることができた気がします。

 

今まで(無意識的に、ですが)自分で自分を小さく制限していて、自分で世界を狭く見せていたことに気が付いたんです。母からの指摘を受けてその考えを改めようと意識的に口癖を変えたり思考を変えたりしてみると、案外生きることへの大変さを感じることが少なくなったんです。

 

 

この本のタイトルを見て、この母からの指摘を受けて、自分で自分を縛っていた縄をほどいたような感覚を覚えたのでつい、こんなに長々と書いてしまいました。

 

 

あんな時代の自分、えらかったなぁって。(笑)

視野

 

 

視野を広げてもらうって体験をたくさんした2021でした。私にとっては急に認識できる世界が広がった1年だったんです。

 

たくさんの初めましてを経て、私は本当にたくさんの経験をしたんです。させてもらったんです。飲食の、お客さんともコミュニケーションをとれるようなそんなアルバイトができて本当によかったなって思います。いろんなお客さんが色んなお話を聞かせてくれます。

そして勇気を出して足を突っ込んでみた東京のサークル。ここでの学びは大きすぎました。自分の大学のコミュではそんなに活発じゃないにもかかわらず、こっちへの活動にはなぜか自分から参加して、演説して役職を持つほど活動に意欲的に参加しています。(2022の目標は自分の大学でもっと友達を作ることです)

 

初めて東京に行きまして、初めて一人で飛行機を予約し、一人で搭乗しました。ドッキドキでしたね!!!!(今ではぎっりぎりに搭乗する私ですが)今では慣れたもんです。()

毎月のように東京へ「通い」、1週間滞在がデフォみたいな。(笑)大事件ですよね~

 

でもそれもこれも実家を出て一人暮らしをしていたからこそのすべての選択だったと思います。実家にいたらそもそも東京のサークルに入ろうだなんて考えもなかっただろうし、頻繁に東京へ、なんてこともきっとなかったと思うんです。そう思うと一人暮らしするって選択をしてよかったなって心の底から思います。

 

今では滞在させてもらうお家付近は自分の家の近所のように歩けるし、一人で横浜までいくこともできます。帰省した時にテレビで流れてくる、渋谷のスクランブル交差点は身近に感じます。東京の友人の住む23区や他県の地名が聞こえてくるとルンルンとしてしまいます。あんなに関東とは無縁の生活で、テレビの中限定で自分とは無関係だと思っていた世界と関わるようになって、変な感覚です。身近な話題として捉えられるようになりました。

 

慣れって本当に恐ろしいことで、最近は飛行機での1時間半は記憶を失ったかのように眠っているし、空港から新宿までも殆ど記憶がないんです。(気楽すぎて寝ちゃうから)もっと日々に学びと刺激を求める生活をしていきたいな!!

 

刺激を求めすぎて日常生活をないがしろにするのもやめないとですね。早寝早起きも目標として掲げておきます。

 

学びのある2022にしていきます。

無駄なこと

 

 

効率がいいことと無駄なことは切っても切り離せない関係だなって思うんです。

 

最初から効率よくやろうだなんて思わない方が良くて、無駄なことを経験したからこそ、効率を求めることができる、こう言っている人がいました。

確かに~!ってなったんでこれ、書いてます。

 

小学生の時、マーチングの練習を重ねるある日、先生がこう言っていました。「ダイヤモンドははじめはただの石の欠片で、それを宝石として売るときは無駄を削って削って、緻密に計算された形に、反射が反射して反射を重ねるようなそんな形に形成されることでキラキラと輝くみんなのあこがれるダイヤモンドができるんよ。だからまずは形があって、その無駄を省いてどんどん形成して形を整えていくイメージで練習していくんよ。」こんな感じで言ってた。とにかく最初は無駄だらけやけどその無駄をどんどん削って綺麗に仕上げるってことを伝えたいがためのたとえだったんです。

 

この言葉はイメージごと自分の中に大事な感覚として残っています。

 

だから初めから完璧を求めるな、みたいな話です、

 

 

無駄があってはじめてそれを無駄だと認識して、これからはその工程を省いていこう、効率よくやっていこう、そうやって学びが得られる、そう思いました。

 

はじめは雛形で、それから自分のオリジナリティを混ぜ込んでいく、みたいな。数学の担任もそう言っていました。一番強い型ですよね。基礎も大切にしつつ自分みを含みつつで。

 

無駄はあってもいいんだって、無駄を省かないと省かないとって無駄を除外することに必死にならず、無駄を省くためにはまず「無駄だ」との認識が必要です。もちろん、いつまで経っても無駄だと認識している工程をそのままにしているのは愚か者です。でも「無駄なこと」は決して無駄ではないんだってそう思えれば、もっと寛容に生きられるのではないかなって思います。結構無意識的にあたりまえなお話だったかもしれないんですけどこれは言語化しておきたかった…

 

うまく言語化できたかな…伝わったかな…????