avectoi17’s blog

関西の大学3年生!私の思惑ブログ。

スポーツウォッシング

 

本日は私らしくないような文章になりそうですね。日本人だからでしょうか。批判に対する批判って凄まじいですよね。Twitterで批判しようものなら擁護する人が出てきて、文面上で言い合いみたいなのが始まっちゃってるのを何度も見かけました。

多様性について考えることが多い私ですから、もちろん意見の多様性も受け入れる努力はしています。しかしながら、やはり自分と異なる、特に正反対の意見に対しては受け入れることが難しいときも多いです。

多くの人がそうだと思うんです。同じように、自分とは違う考えに対して強く対抗心を抱いたり、理解を示せなかったりして結局自分の殻に閉じこもってしまうんです。それを克服するためにこれを書こうと思います。

政治的な話(特に政権批判)やちょっとお堅い、難しそうな話についても自分なりの見解を書いていきたいと思います。もちろん、これは私の考えですから違う考えの人がいて当然ですし、私も自分の考えが最も優秀だとは思っていません。だから私はこう思うんだけど…とかあれば是非ぶつけにきてください。自己満足には変わりありませんが、みんなが避けがちな、煙たがられるような話題にも触れていかねばならないなと思う毎日です。

どうしてもいい部分にだけ過剰反応し、都合の悪い部分に気づいたとしても気づかぬふりをしがちですよね。一度立ち止まって自分なりの考えを形成してみませんか?その一つの過程として私はこの「文字化」の練習場をお借りしたいと思います。

良かったら最後までお付き合いくださいませ。いつもより少し読みにくいものとなっております。読み進めたくなかったらここまでで閉じていただいても構いません。前置きが長くなりましたが、それではいきましょう!!

みなさん、『スポーツウォッシング』という言葉をご存じですか?

私はついこの間知りました。【スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らす】という意味です。
元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』の中で使った言葉です。

東京五輪に関しては皆さんご存じの通り、誘致が成功してから様々な問題とともに開催にまで至りました。

エンブレム盗作疑惑、新国立競技場が建設費問題でデザイン案を白紙撤回、開会式音楽担当の小山田圭吾氏いじめ問題、森喜朗氏女性蔑視発言、もっとたくさんありましたよね。国家をあげた大運動会とは思えないほど問題だらけでした。2000年以降の五輪メーンスタジアム整備費はシドニー480億(‘00)、アテネ360億(’04)、北京510億(’08)、ロンドン580億(’12)、リオデジャネイロ550億(’16)、過去5回分の合計が【2480億】でした。そして今回、東京五輪はというと、【2520億】が整備費として使われたそうです。過去5回分の合計より多いんですよね。びっくりです。

そう、スポーツウォッシングの話をしていたんですよね!(笑)

この責任者関係の問題は、当人が『辞任』という形のみで罪滅ぼしした、と言わんばかりの顔をして反省の色を一切見せることもなく表舞台を去っていき、収まったかのように扱われました。またその他のコロナ対策の面に関しても多くの問題と疑惑を抱かせたまま強行突破して開催に踏み切りましたね。同じ言葉をロボットのように繰り返し、答えになっていない答弁に対する重ねての質問を規制し、なんとか逃げて隠れて開催した五輪。みんなが逃げました。隠れました。

ここで出てくるのが「スポーツウォッシング」です。みんな逃げて、隠れて、隠して。そしていざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的な疑惑をすべて忘れてくれると思っています。主語がなくてもわかるでしょと言いたくなりますね。(笑)

この国で起こる問題の殆どが同じ形をしています。問題視される→逃げる→忘れてもらうという流れが続きます。次々と問題が湧いてきて、ろくに検証もせず次の問題に移行してしまいます。途中なのに逃げてしまい、逃してしまう。毎日のように新たな問題や不祥事がニュースや記事を独占し、問題視される対象が移り変わる。そしてそのうち忘れられる。

スポーツウォッシングという面からいくと、その忘れる過程までに「誰かが創り出す、感動」があります。選手たちはこのステージに向けて必死にそのスポーツに取り組まれてきたのは理解しています。しかしながらその努力や頑張り、成果を「逃げ続け、隠れているえらい人たち」に搾取されているのです。

どれだけ国内で五輪開催に対する批判や悪評が集まったとしても、いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、国民が逸れに乗っかり、様々な疑惑をすべて忘れてくれると、えらい人たちは考えているのです。

実際、開催以前(5月時点)の国内では、開催反対派は8割を超えていることが世論調査で明らかになりました。しかしながら、いざ開催されると「#東京五輪の中止を求めます」というタグがTwitter上でトレンド入りしたくらいで、多くの国民が東京五輪を開催してよかったと、それなりに楽しめた、と満足する様子が伺えました。

ほら、えらい人たちの思惑通りでしょと言わんばかりの文面になってしまいましたが、私が声を大にして言いたいのはまさにこのことなんです。

多くの人が五輪に夢中でした。
別に五輪に夢中になることを批判したいのではなく、強行突破してまで五輪を開催した代償は大きいことをスポーツの感動で揉み消されて終わってしまってはいけないということを知ってほしいのです。
東京五輪を開催してよかった!」と歴史の教科書に残せるかといえばそうではないと思います。

開催の代償。

スポーツウォッシングによって閉会後に残るものはなんでしょうか。

国民の満足感、充足感でしょうか。

私は断固反対派だったので、開催後もメダルがいくつとかどの競技に日本人が勝ち進んでいるのかとかどうでもよかった。

ただ単に、みんななんで見れるんだろうって疑問に思っちゃってました。

この五輪開催強行突破を通して露呈した日本政府やIOCの対応をはじめとした様々な問題に目を向け、それを問うていく必要があると思っています。感動した~!で終わらせてはいけない、逃がしてはいけない、そう強く思うのです。

ここまでお付き合いいただいたみなさんに共有したいYouTubeがあります。
「せやろがいおじさん」で検索してみてください。
沖縄のお笑い芸人の「せやろがいおじさん」は日本にある問題についてわかりやすくて面白味のある例を挙げてかみ砕いて説明してくださっています。すごく見やすいのでおすすめです。問題意識をもってニュースを捉えるきっかけになるはずです。お時間あるときにご覧くださいね!彼のTwitterもタメになります!

本日はこのへんで!長くなりましたが、ありがとうございました!たまには真面目に自分の考えを訴えるものも書いていきたいと思います!
お疲れさまでした!!