あわよくばの理想的な関係性
最近、りりあ。さんの「最後のバイバイ」の歌詞が刺さってる。
いつも私からで君は待つだけ
そんな毎日がもううんざりなんだよ
これじゃあ私可哀想
ああ、もう泣きそう
でも大丈夫。大丈夫。
君は私を分かったふりして
本当は何もわかってないの
何も変わってないの
そうね私もね同じ
最後のバイバイは本当の最後で
優しい言葉でこれ以上苦しめないで
久しぶりに声を聞いた
いつも通りの会話
いつも通りの笑い声
いつも通りのバイバイ
こないだ、親友から突然電話がかかってきて、真剣にお話をした。
おかげでそろそろ卒業しようと決意できた。
これまでも何度も狂ってしまいそうなほど考えてきたし、頭を悩ませてきた。ここまで決断ができなかったのは現状に満足していたし、別に変化を求めていなかったから。今の自分のやりたいを叶え続けた結果だった。でもそろそろ、そろそろ離れるときが来たなと感じることが増えた。ようやくの決断だ。ここに至るまで3年ほど要してしまった。長い寄り道だったなぁとか思う。
またね!また今度ね!またご飯行こう!そんな口約束が、これまでは当たり前のように守られていたし、何なら日常レベルでいつも私の近くにいてくれた。それが最近は、またね!って言葉に半信半疑だった。いつ、その「またね!」が最後になるんだろうと。私は本当に次回を約束したいと思う人にしか「またね!」と言えない。だんだん話す回数、連絡を取る頻度、会う回数が減ってくうちに、口約束ができなくなっていった。守れないような気がして。守れない約束をしてしまったらずっと心残りになってしまうから。どこかでいらない期待をしてしまうから。
共通の話題が減ってしまって、これまでは何とも思わず遠慮もなく何でも話せる関係性だったけど、いつの間にか距離が遠くなっていて、めちゃくちゃ遠慮する相手になってしまって、自然体の私でいられなくなったなと、最近寂しくも気が付いてしまった。
私にとって大切な人なのは間違いないけど、自分が思っていたよりも重要ではなかったのかもしれないというか、盲目過ぎたというか、きっと大切で重要で私の人生のキーパーソンの1人でたくさんのことを一緒に経験して長い時間を共有して学びも多かった関係性だったなと思うけど、思い返すと当時の私が執着してしまっていたなと大反省中。
大学を卒業するとともに全力で離れたいと思ってる。これが私の決意です。
元恋人と友達関係に戻るなんてことできるの?無理でしょ!派で、何かしらの特別な関係性が切れた後の後処理がわからなすぎるんだ…その派閥で行くと、私はこれから関係性0!!を目指すべきなんだけど、今の私にはそんな大胆な決断ができなくて、どこかで気持ちの折り合いがついたらそうなれるんじゃないかなって淡い期待を抱いたりしている。連絡を取らなくなっても、会う約束をしなくても、文通をしたいなと思ってしまう。これがあわよくばの理想的な関係性。
文通なんて面倒なことをこの時代にやってくれるわけがないからとても却下だけど、私だけでも一方通行の郵便だけでも年に1回だけでも、送らせてもらえないだろうか。そんなことを考えてしまう。細々と関係性を繋ぎ留められないかとかまだそんなことを思ってしまう。まだまだ弱い。
私が「会いたかった」というと、彼は同意しながらいつも決まって「俺もいつも同じように思ってるって思ってて」と言ってきていた。当時は嬉しかったけどなんてずるいんだろうと今振り返って思う。私が今、特別会いたい!と思っていないということは、彼も同じだということを示してしまう言葉だから。必要とされたくて、大切にしてほしくて、私はこの人間関係を継続することを望んできた。ただ、ここにきて、私が吹っ切れると、彼は平気な顔して離れていく私を見てるだけなんだろうなと。そこに特別な感情は何もなくて、ただ、その事実を見ているだけなんだろうなって。
そう思うと残酷で悲しくて、でもだからこそ私はこの決断をする意味があるんだと思える。強い女の子になれるかな。もう少し頑張ってみるし、あと少し、甘えておこうと思う。
有難い存在
「当たり前」の反対は「有難い」
私はこの言葉を、まさにあなたの存在そのものだなと思ったことがあります。
私たちはあまりにも多くの時間と経験を共有してしまったから。
毎日連絡を取って、お互いをよく知ってしまったから。
気づけばあなたは私の中で、「当たり前」の存在になっていた。
いることが当たり前で、連絡を取ることが当たり前で、困った時に頼れるのも、何でもない日に話をしたくなるのも、あなたがいること全部が当たり前になっていた時期がありました。
あなたと過ごした時間が気づけば丸3年。
はやいもので大学生活の殆どをあなたと過ごしました。
どんなシーンでもあなたがいました。
あなたと私
あなたと私は全く違う価値観で、互いに分かり合えないことを知っています。
だからこそ、それを受け入れる耐性がついてしまいました。
私はこの変容を「愛」と捉えてしまった。今もそうです。
私にないものをあなたが持っていて、あなたにないものを私は持っています。
だからこそ、互いに依存してしまいました。特別だと思ってしまった。
私はこの状況を「愛」と捉えてしまった。
違うくても分かり合える、支えになれる、特別な存在…
そんな関係性を私は愛だと、そう思っていました。今もそうだと強く思います。
あなたは私にある1つの形の愛を教えてくれました。
こんなにも誰かに会いたいと、繋がっていたいと、信頼してもいいんだと思えたのは初めてのことで、きっとこれは、私がこれから生きていく上で糧にも枷にもなるんだろうなと想像します。そんなあなたのことを私は有難い存在だと胸を張って言えます。
私にとって有難いあなたという人が、これからの人生で辛いことがあってもうまく乗り越えられるように、幸せに過ごせるように、寒い日はあたたかくして風邪をひかないように、そんなことを願いながら2024も幕を閉じるんだと思います。
2025年、私はあなたを卒業して新しい有難い存在の人たちと前に進んでいきたいです。
いつ切るか
主導権は私にある
私が辛くならないように
あなたが辛くならないように
なんて考えていたけれど
どう考えても共倒れの未来しかなくて
どの道を行っても辛くて辛くさせる未来
私はそんな風に考えていたのだけれど
あなたはどうなんだろう
きっと私に主導権があって付き従うだけだよね
私が辛くならないようにと先延ばしにして
あなたが辛くならないようにとここまで来てしまったけれど
気づけばそれは私もあなたをももっと辛くさせるし
深く抉ることになるんだろうな
もう戻ることのできない過去
ここまで長い道を一緒に歩いてきたけれど
そんなの長ければ長いほどもっと辛くなる
先延ばしにすればするほど苦しい
気づけばいっぱい心地良くなっていた
だってもう長い道を一緒に歩いてきたんだから
一方でガタがきたところもたくさんで
関係の脆さがどんどん表面に出てきたような
どこかで切れることをわかっていたはずなのに
想像するほど苦しくて辛い
でも今日ちゃんと決めた
すごい人になったつもりになっていたのかもしれない
私は人と関わるのが好きだ。新しい価値観や私の知らない世界を知れるし、エネルギーをもらえるからだ。そして今気づいたのは、私は人との関わりを通じて、「何者かになれた」気がして、それが自分を肯定するものになっていたんじゃないかって。
私は常に何者かでありたいと思ってしまう。別にすごい何者かになっていなくてもいいのに、誰もそんなこと気にしていないのに。でも両親は、いや、母親からは少しばかりの期待を感じている。プレッシャー。私立中高、私立大学に進学させてもらって、他の兄弟に比べてより多くの投資を受けている身としては、もっと謙虚にもっと誰かのために、家族のために頑張らないといけないと、思ってしまう。
大学受験の時、私は広島の国立大学を目指していた。教育への関心を深めたかったから。でも不合格だった。合格に見合う努力をしていたかと聞かれると自信を持って頷くことはできないくらいに周りで支えてくれていた人には申し訳なく、情けないことをしたんだと、そう認識できるようになったのも本当に最近になってからのことで。当時の自分からすると頑張っていたつもりだったんだろうなって。
で、どたばたで後期受験ができる私立大学を探して、学部のことも何も調べないまま本当に何も調べないまま、学部の名前だけでここに出願した。リベラルアーツの学部だからこそ、自主性が問われるところに来てしまった。関西でこの大学の名前は通りやすいほう。そこに安心感があったのだろう、大学のネームバリューを親に買ってもらった。そして色んな選択をして、飛び込んだコミュニティは私なんかがいてもいいのだろうかってくらい優秀な人たちが集まる、いわゆる早慶レベルの人たちと一緒に活動した。
私の見て学ぶ、人から学ぶ、経験から学ぶってスタイルの性格からして、自分が身を置く環境のレベルが高ければ高いほどできることが増える気がしている。でもこの落とし穴は、まるで自分もすごい人になれたと過信してしまうこと。そういった環境でなんとか生きていたとしても、別に本質は変わっていなくて、私は私のままでいるというのに、すごい人たちに囲まれる環境に身を置くことで、自分もすごい人の一員だと勘違いしてしまう。そんなことないのに。
てなると、受験とか就活とかでとても苦労する。
自己認識と他者認識のギャップに気づく、洗礼のイベントだから。
でもまあ結局、なるべくしてここに導かれたのかって思うと、納得感はあるものの、過程を見ると本当に私らしく右往左往しながら答えを求めてきた軌跡がみえる。それもこれも結局周りにいるすごい人たちのおかげでたくさんの気づきを得られて進んできたわけだから、まあ、いいのか。
生きているだけでえらいだなんて誰が言ってくれるんだろうか
生きてるだけでえらいだなんて、誰がそう言ってくれるんだろうか。
あまりにも自分よがりな生き方ばかりしてきたものだから、私は私が好きじゃなくて結局ずっと表面上の自分しかいないみたいな、突然真っ暗になるときがある。間違いなく自分の味方でいてくれる、そんな人たちをも失っていっているようで、自分が自分であることを受け入れられなくなる。
一緒に行く!をやめたい…
つい、一緒に行く!と言ってしまう…
少しでも一緒にいたいって気持ちからそう口走ってしまう…安直だ。
行先は違うし、集合場所も会う人も違うのに一緒に行く理由…
少しでも一緒にいたい、道中で何気ないお話をしたい、、、とにかく、よかれと思って少しうきうきしながら一緒に出発する。
だけどたいてい、携帯に夢中だしお話なんてしてくれないしただただ「目的地に向かう」を遂行しているだけで、そこに私がいるいないは関係ないみたい…
確かに一緒に行くと言ったのも私で、家にいたらいいやんって言ってもらったのを聞かなかったのも私で、目的地に向かうまでの道中でたくさんお話ししようなんて約束もしてないんだから別にいいんだよ、別に。私が期待してしまったために勝手に不機嫌になって困らせちゃう。(笑)
一緒に行く!と意地を張ると必ず、一緒に来てよかった!と来なかったら良かった…がハーフアンドハーフ。私の感覚では誰かと一緒にいたら極力自分の世界に引き込んでくる携帯とは距離を置くようにしているし、それが当たり前の相手への思いやりだと思っている。相手への配慮というか…自分だけの時間じゃないし一人でいるときにできることをわざわざ誰かといるときにしないでいいと思うから。
あとシンプルに、私が誰かと一緒にいて、その人がずっと自分の世界に入り続けていたら、悲しくなるから。だからやらない。そんなとこへの気づきも配慮もない人って私の周りではレアすぎるから、そこが唯一辛くて苦しいところ。別にいいんだけど
だから、これからは一緒に行く!って言ったらやめさせてほしいけど、全力でやめさせられるときっと凹むんだろうな。難しい。(笑)
過去に伝えたことあるし大丈夫か!って何度も期待してしまうんだけど、毎回うまいこと裏切られるわけだから期待するのも毎回同じ提案するのもそろそろバカだからやめたい。
自分の心に従うことにした
人生は本当にシンプルなのに、私たちは複雑にしようとする。
ー孔子ー
なんで恋愛をするんだろうって思ったのね。依存できる先がほしいのかなとか、愛されたいのかなとか、承認欲求・性欲を満たしたいのかなとか、寂しさを埋めたいのかなとか…色々考えてみた。私は恋愛を面倒なものだとある意味の諦めがあるというか、そこに割くリソースに余裕がないな~みたいな。完璧主義がでちゃってて、もっと余裕ができないと自分が生きるのにも大変なのに他人を愛するなんて無理だな~って。
でもわかる、その依存先がほしいとかいつでも頼れる・味方をしてくれる存在がほしいとか、ただ好きな人と一緒にいたいみたいな…で、それで元気をもらえるし勇気が湧くし嬉しいことは2倍に悲しいことは半分にみたいなのもわからんこともない。なんならわかる。それはある意味、私にももちろん弱いところがあってそれを補う存在として恋人がほしいみたいな、わかる。恋人の存在がもっと自分を強くするっていうのもめっちゃわかる。
色々考えて決めたんだけど、私はシンプルに、自分の心に従うことにした。
好きな人がいるんだったら好きでいいし、行きたい場所があるなら行きたい人を誘えばいいし、一緒に食事したいと思うなら誘えばいいし、会いたい人がいるなら躊躇わず会いに行けばいい。
最近ラジオ感覚で聞いているYouTubeチャンネルがあるんだけど、そこで「なんで恋愛ってするんだろう」って話していて、そこで出た答えはこれ。暇な時間を埋めたいんじゃない?って。
暇な時間を寂しいと思ってしまうならそれはとっても恋愛体質なのかもしれないなって。私もこの間まで「暇は悪」と捉えて、予定を入れないと!何もしない日なんてもったいない!と思っていたけれど、金曜の夜に弟のやっちゃんに「明日なにするん~?」と聞くと「なんもせん」と一言。えーーって言うと母が「いいやんなー!なんかせなあかんわけじゃないねんで」と言われて、ほぉ、、、と少しびっくりした。何かをしないといけない!暇はだめ!という考えから解放された瞬間だった。
私は暇ができると何かしないといけない!みたいな衝動に駆られがちだった。寂しいってときもあったけど、寂しいよりも何かしないといけない→誰かと繋がって何かしてたらなんかした気になれるみたいな感覚で誰かに会いたいってなってた気がする。
それでいうと、私は自分が一人旅も楽しめるタイプだなって思ってるし、大学生活の中で一人行動にも耐性がついて、暇な時間に誰かと繋がっていたい気持ちもまああるけど別になくてもなんとかなってきた実績があるから誰かに依存せずとも生きられるのかもしれないって過信している。私の友人にもなんかそういう、精神的に強い奴が多い気がする。(笑)「別に一人で立ってられるんだよ、恋人は+αな存在なだけで、いてくれたら確かに心強かったり楽しさ倍増ってこともあったりで充実度が上がるかもしれないけど、大前提一人で生きられるから!」みたいなマインドの持ち主が周りに多い。
恋愛向きな人は2パターンあるっていうじゃない、心のよりどころが欲しい系と充実度アップ系。前者は精神的に未熟系?後者は強い系?だと思ってる。恋愛するなら後者がいい。こうやって理想が上がっていってしまうんだろうけど、出会うべき人とは出会うべきタイミングで出会えるようになっているんだからと呑気に結婚できる日を待ってみる。(笑)
それもこれも全部、シンプルに自分の心に従えばさえいいんだから!