avectoi17’s blog

関西の大学3年生!私の思惑ブログ。

出会えなかった自分を想像する

 

選択をしなければならない状況に置かれたとき、必ず選択肢すべての未来とメリット、デメリットを想像するだろう。そしてできるだけ想像できる良い未来の実現を、またはメリットの多いほう、デメリットの少ないほう、を選択しようとするだろう。

以前書いたように、とある先輩からいただいた考え方から、私は選択を余儀なくされているということは、何かを諦めなければならないということと同値であるのだと考えるようになった。

選択しなかった自分の選択肢の先をいくら想像してもそれは想像に過ぎないのだ。あの時、別の道を選んでいたら…なんて考えるのはナンセンスだ。

時空を超えたドラマで、過去を変える、というのはよくあるが、果たしてそれまで進んできた人生はなかったことになるのか?と思ったり、パラレルワールドは存在するのか?と考えたり。時空超える系のフィクションって定義が難しすぎてどこかで辻褄合わないからモヤモヤする…(笑)

だからこそ想像を巡らせることは面白いんだと思う。自分の空想でしかない世界と実現した今ある世界とのギャップを感じてわからん!!ってなるのがなんとももどかしく、面白い体験だなと思うのだ。

たとえば、好意を抱いていた相手に告白するかどうかの選択を迫られたとき、相手も自分に対して好意を抱いてくれてれば付き合おうってなるかもだし、もしそうじゃなかったらこれまで築き上げてきた人間関係が崩れるかもしれない。たとえ相手も自分に好意を抱いてくれていたとしても付き合おう、とはならないかもだし、同じような好意を抱いてくれていなくても告白したことで相手の気持ちも変わるかもしれない。あの人の恋人になれるかもしれないし、友達としての人間関係も崩れて疎遠になってしまうかもしれない。
もし「告白しない」という選択をしたとして、その相手に恋人ができたとすると、あの時告白してたらもしかしたらその人の横にいるのは自分だったかもしれないと後悔するかもしれないし、案外すっきりとして自分は好意を寄せていると勘違いしていたかもしれないと気が付くかもしれないし。(「かもしれない」の渋滞で読みにくいよね…耐えて…)

全部未知すぎてそれ以上先に進むことはできないけど、自分の決めた選択とは別の選択肢の先を辿るのってものすごく大変で興味深いなぁと最近ぼーっとしながら考えてる。さっむい真っ暗な自分の部屋で物思いに耽る深夜2時は何とも言えない贅沢な気分!!

出会えなかった自分に焦点を当てて想像していると自分の現在地がわからなくなるけど、そんなごちゃごちゃの中からこれからの自分とか今の自分的に正解を辿った自分とか探すのが面白い。今の自分的に正解を辿った自分って、切り取る「今」によって全然変動するから人生に正解なんてないんだなって思う。

ここまでくると、僕だけの正解を探しに行くんだって言ってた野田洋次郎の気持もわかるし、私の選んだ道を正解だと思えるようにサポートするのが自分の仕事だと言ってくれた先輩の言葉にも納得だ。

何が良かったか何が正解かなんて後になってもわからないのに選ぶときにわかるはずがない。それなら選んだ道を正解にすると正解を選んだことになるって考え方、いいね!!って。私の評価基準、見つけましたっ!!