avectoi17’s blog

関西の大学3年生!私の思惑ブログ。

アナログの方がいいときもあるよね

 

本日はタイトルの通り、「アナログ」について書いていきたいと思います。最後までお付き合いくださいね。

はじめにみなさんに知っていただきたいのは、私は手紙が大好きだということです。
おそらく私と長い付き合いのある人であれば、周知の事実ですよね。(笑)

保育園に通う頃から手紙が大好きで、小学生の頃も、中学生、高校生と成長しても、私と人との繋がりに欠かせなかったのは「手紙」でした。

保育園の時のクリスマス付近の記憶はかなり鮮明に覚えています。12月になる頃にダンボールで真っ赤なポストを作ったんです。ちぎった折り紙をペタペタと貼って、のりでぐちゃぐちゃにする男の子を怒っていたのを思い出します。(笑)クリスマスが近づくとサンタさんにお願いの手紙を投函するんです。すると、サンタさんからお返事が届くんですよね。それに何が書いてあったのかは忘れましたが、かっこいいなって印象が強かったので英語だったのかな…とにかく、返事が来たことへの喜びが大きかったんです!!サンタさんと繋がってる!!!みたいな感じが嬉しくて仕方なかったです。(笑)

それが手紙を好きになったきっかけのひとつですね!

みなさん、手紙は好きですか??最近、手紙を書きましたか??

私は手紙を書くのも、もらうのも好きです。書くと自分の文字に気持ちを込められている気がしますし、その気持ちが届くように思うからです。そして手紙をもらうとまずはとーっても嬉しくて、人からもらう言葉って私にとって特別で大切で、ちゃんと形に残るところが手紙の推しポイントですね!!!その人が私のために時間を割いて書いてくれたという事実が嬉しいというか。(笑)

でも残念なことに成長するにつれて手紙の遭遇率は激減します。中学生になって自分のスマホを持つようになったので、手紙を書くことは減りました。高校生になると殆ど書くことがなくなりました。悲しいことに大学生になると、LINEやインスタでのやりとりが主流で常に繋がれる状態にあるのでわざわざ「手紙」を通して繋がることはなくなりました。

デジタル化のおかげで、私の大好きなアナログの良さがすり減っていく現状に悲しみを覚えます。

でも逆に、デジタル化が進んでしまった今だからこそ、「自分の書く文字を使って伝える」ということへの希少価値が高まっているんですよね!!

本当に切に伝えたい思いを便箋に乗せて届ける、って素敵じゃないですか?

手紙を送ることが減ったからこそ、1通に込められる思いって大きいと思うんです。なんというか、手紙をもらうことが減ったからこそ、もらった時の喜びって以前に比べて大きくなったはずです。

今回のを端的にまとめると、たまには手紙書いてみるのもいいかもよ?ってことです。あわよくば、是非私に書いてください!ってことです。(笑)

私はパンデミックが始まって以来、入院している祖母とは疎遠になってしまいました。なんせ病院に入れないので。高校生の頃は学校の帰りに立ち寄って一緒にご飯を食べたり、お土産を持って行ったり、お話をしたりしていたんですけど、私が忙しいだろうって遠慮して電話することも殆どなくなってしまっている状況です。だから大学生のうちに2か月に1回くらいのペースで絵葉書を送ることにしました。

いつまで続くかなぁというところ、心配ですよね!私のことですからすごく不定期便になるかもです。(笑)それでもこのブログ同様、細く長く続けていきたいと思っているのでたまに進捗をお伝えしますねぇ!お楽しみに!!!

本日はこのへんで!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!!

スポーツウォッシング

 

本日は私らしくないような文章になりそうですね。日本人だからでしょうか。批判に対する批判って凄まじいですよね。Twitterで批判しようものなら擁護する人が出てきて、文面上で言い合いみたいなのが始まっちゃってるのを何度も見かけました。

多様性について考えることが多い私ですから、もちろん意見の多様性も受け入れる努力はしています。しかしながら、やはり自分と異なる、特に正反対の意見に対しては受け入れることが難しいときも多いです。

多くの人がそうだと思うんです。同じように、自分とは違う考えに対して強く対抗心を抱いたり、理解を示せなかったりして結局自分の殻に閉じこもってしまうんです。それを克服するためにこれを書こうと思います。

政治的な話(特に政権批判)やちょっとお堅い、難しそうな話についても自分なりの見解を書いていきたいと思います。もちろん、これは私の考えですから違う考えの人がいて当然ですし、私も自分の考えが最も優秀だとは思っていません。だから私はこう思うんだけど…とかあれば是非ぶつけにきてください。自己満足には変わりありませんが、みんなが避けがちな、煙たがられるような話題にも触れていかねばならないなと思う毎日です。

どうしてもいい部分にだけ過剰反応し、都合の悪い部分に気づいたとしても気づかぬふりをしがちですよね。一度立ち止まって自分なりの考えを形成してみませんか?その一つの過程として私はこの「文字化」の練習場をお借りしたいと思います。

良かったら最後までお付き合いくださいませ。いつもより少し読みにくいものとなっております。読み進めたくなかったらここまでで閉じていただいても構いません。前置きが長くなりましたが、それではいきましょう!!

みなさん、『スポーツウォッシング』という言葉をご存じですか?

私はついこの間知りました。【スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らす】という意味です。
元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』の中で使った言葉です。

東京五輪に関しては皆さんご存じの通り、誘致が成功してから様々な問題とともに開催にまで至りました。

エンブレム盗作疑惑、新国立競技場が建設費問題でデザイン案を白紙撤回、開会式音楽担当の小山田圭吾氏いじめ問題、森喜朗氏女性蔑視発言、もっとたくさんありましたよね。国家をあげた大運動会とは思えないほど問題だらけでした。2000年以降の五輪メーンスタジアム整備費はシドニー480億(‘00)、アテネ360億(’04)、北京510億(’08)、ロンドン580億(’12)、リオデジャネイロ550億(’16)、過去5回分の合計が【2480億】でした。そして今回、東京五輪はというと、【2520億】が整備費として使われたそうです。過去5回分の合計より多いんですよね。びっくりです。

そう、スポーツウォッシングの話をしていたんですよね!(笑)

この責任者関係の問題は、当人が『辞任』という形のみで罪滅ぼしした、と言わんばかりの顔をして反省の色を一切見せることもなく表舞台を去っていき、収まったかのように扱われました。またその他のコロナ対策の面に関しても多くの問題と疑惑を抱かせたまま強行突破して開催に踏み切りましたね。同じ言葉をロボットのように繰り返し、答えになっていない答弁に対する重ねての質問を規制し、なんとか逃げて隠れて開催した五輪。みんなが逃げました。隠れました。

ここで出てくるのが「スポーツウォッシング」です。みんな逃げて、隠れて、隠して。そしていざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的な疑惑をすべて忘れてくれると思っています。主語がなくてもわかるでしょと言いたくなりますね。(笑)

この国で起こる問題の殆どが同じ形をしています。問題視される→逃げる→忘れてもらうという流れが続きます。次々と問題が湧いてきて、ろくに検証もせず次の問題に移行してしまいます。途中なのに逃げてしまい、逃してしまう。毎日のように新たな問題や不祥事がニュースや記事を独占し、問題視される対象が移り変わる。そしてそのうち忘れられる。

スポーツウォッシングという面からいくと、その忘れる過程までに「誰かが創り出す、感動」があります。選手たちはこのステージに向けて必死にそのスポーツに取り組まれてきたのは理解しています。しかしながらその努力や頑張り、成果を「逃げ続け、隠れているえらい人たち」に搾取されているのです。

どれだけ国内で五輪開催に対する批判や悪評が集まったとしても、いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、国民が逸れに乗っかり、様々な疑惑をすべて忘れてくれると、えらい人たちは考えているのです。

実際、開催以前(5月時点)の国内では、開催反対派は8割を超えていることが世論調査で明らかになりました。しかしながら、いざ開催されると「#東京五輪の中止を求めます」というタグがTwitter上でトレンド入りしたくらいで、多くの国民が東京五輪を開催してよかったと、それなりに楽しめた、と満足する様子が伺えました。

ほら、えらい人たちの思惑通りでしょと言わんばかりの文面になってしまいましたが、私が声を大にして言いたいのはまさにこのことなんです。

多くの人が五輪に夢中でした。
別に五輪に夢中になることを批判したいのではなく、強行突破してまで五輪を開催した代償は大きいことをスポーツの感動で揉み消されて終わってしまってはいけないということを知ってほしいのです。
東京五輪を開催してよかった!」と歴史の教科書に残せるかといえばそうではないと思います。

開催の代償。

スポーツウォッシングによって閉会後に残るものはなんでしょうか。

国民の満足感、充足感でしょうか。

私は断固反対派だったので、開催後もメダルがいくつとかどの競技に日本人が勝ち進んでいるのかとかどうでもよかった。

ただ単に、みんななんで見れるんだろうって疑問に思っちゃってました。

この五輪開催強行突破を通して露呈した日本政府やIOCの対応をはじめとした様々な問題に目を向け、それを問うていく必要があると思っています。感動した~!で終わらせてはいけない、逃がしてはいけない、そう強く思うのです。

ここまでお付き合いいただいたみなさんに共有したいYouTubeがあります。
「せやろがいおじさん」で検索してみてください。
沖縄のお笑い芸人の「せやろがいおじさん」は日本にある問題についてわかりやすくて面白味のある例を挙げてかみ砕いて説明してくださっています。すごく見やすいのでおすすめです。問題意識をもってニュースを捉えるきっかけになるはずです。お時間あるときにご覧くださいね!彼のTwitterもタメになります!

本日はこのへんで!長くなりましたが、ありがとうございました!たまには真面目に自分の考えを訴えるものも書いていきたいと思います!
お疲れさまでした!!

よく笑う

 

今回は前回の「人に恵まれすぎている私」に書いたように、「よく笑う」について書いていきたいと思います。私らしい文章になるのではないかなとワクワクしているところです!(いつもよりもまとまりの悪い文章です今回は…)是非最後までお付き合いください!

皆さんご存じだとは思いますが、文字通り私は「よく笑う」のです。

もともとは場の空気を和ませようとしてよく笑うようになったんですよね。皆が黙り込んでしまう場面とか、誰かがイライラしている場面とか、擦り付け合いみたいな場面とか。苦手すぎて、自分でその場面を覆そうと頑張った結果、生み出された方法が笑顔でいること、だったんですよね。(笑)防衛本能。

だけど今では心の底から笑っていることが殆どです。笑顔の導入というか意識して笑顔でいるようになった理由は本当に感動の欠片もないものですが、その過程があったからこそこんなによく笑う人間になったんだと思います。(笑)人生に無駄なしとはこのことですね。

高校生になって、あなたの笑顔は素敵ね、と言われることが増えました。中高毎年1回学校に来てマナー講習をしてくださる先生には中学1年生の初めての講習の時にめっちゃくちゃ褒めてもらって、それから毎回講習の後の休み時間に決まって、今日もあなたの笑顔は素敵だったわ、ありがとうって言われていました。(笑)

そして大学生になって初対面の大人や先輩から笑顔いいねって。私も元気になるよ、ってそういってもらうことが急増したんです!!そこで初めて自覚したんですよね。笑顔でいると私はもちろん、関わって下さる人も明るい気持ちになるんだなぁって。

私の大好きな友人はいつも「私はほんまに晴香の笑顔が大好きやねん。めっちゃいい笑顔や。こっちが嬉しくなるねん。」って言ってくれるんです。いっつも!!自己肯定感爆上がりですよね。(笑)
親しい友人からそう言ってもらえるの、幸せすぎません??

今アルバイトをしているしゃぶしゃぶ屋さんで採用される際には、店長から「その素敵な笑顔の持ち主であるあなたと一緒に働きたいです!」って言われました。(笑)
そして勤務中にはたくさんのお客様からあなたの笑顔素敵ね、とマスク越しの笑顔を褒めていただくんです。これには驚きましたね。(笑)

本当に、笑顔でいつづけると『楽しい』を感じることが人より何倍も多いんです、きっと。そして笑顔は周りを惹き付け、幸せを呼びます。『楽しい』が増大します。いいこと尽くしです。

だから無理に笑えって言いたいんじゃなくて、ふと気づいたときに笑顔でいることを意識してみるだけでQOL上がっちゃいますってことを伝えたいんです。
日常の幸福感、少ないなぁって人にはまず、笑顔を意識的に取り入れてみることをお勧めします!

自分が笑顔でいると自分も気分がいいし、周りの人の気分もよくなるんですよね。簡単に想像できると思うんですけど、にこにこしている人の横にいるのと、ぶすっとしている人の横にいるのとでは気分が全く違いますよね。まあ、そういうことです!

相手に受容的な態度を見せる、という点からも笑顔でいることが重要です。

こんな事グダグダ書いてても仕方ないんですけど、まじで笑顔でいるといいことだらけなんですよ!!私はその恩恵を受けていることを初めて自覚したのは周りに言われてからですね。最近気づいたことが多いんです。思い返せば思い当たる節は多くて。

「笑顔は最高のお化粧です」って中高のマナー講習で言われ続けましたが、これ、信憑性高いです(笑)ってことだけ最後に言わせてもらって終わりにしますね!!!

私としては、簡単じゃーん得意得意!って思ってこの回に取り組んだわけですが、私が笑顔で常にいる側の人間しか経験してないので、反対側の人の視点に立つことが難しかったですね。(笑)思っていたようにスラスラと書けず、かなり手こずりました。(遅くなった言い訳です)

夏休みなので超自分ペースで書いていきますね!出来次第どんどん出していきます!お楽しみに!!

まずは肯定!って姿勢、めっちゃよくない?

 

前回の続き!といいながら前回知らなくても全然いけます。が、知ってる方が何の話か分かりやすいかも。
前回は調子に乗って書きすぎました。レポートレベルの大作ができましたね。()
本日はタイトルのまんまです!最後までお付き合いください!

私の所属先の環境というか、そこの人たちの姿勢が良すぎるって話。
発案に対して「それいいね!」って。意見を受容する姿勢が先輩方みなさんに備わっていて、新入生にも伝染している素晴らしすぎる姿勢について書きたいんです!!!

振り返ってみると、私はこうしたらいいのに、とかこんなことしたら面白いのに、とか思いつく考えはあるのに、なかなか発言できないことが多かったです。理由を考えてみると他の人にどう思われるのかを恐れたから。それこそ私の発言に対して「でもさ…」って言われた経験のトラウマからでしょうか。とにかくどう思われるのかが気になりすぎていたんです。だからといって他の人が発案するかといえばそうでもなくてっていう…私の嫌いな沈黙が続いてしまう羽目になることもよくありました。

ある先輩にこの話をしたんです。すると「確かにそうだよね。」って。
「でもさ」に続く事柄って絶対大事。考慮すべきこととか気を付けなければならないこととかだから。話を進めていく上で、この「でもさ」は必要なんだよね。って話してくださったんです。
それまでの私は「でもさ」に対して、場の流れを止めたり空気をかき乱したりする悪魔のワードのように捉えていましたが、こう言われて確かに「でもさ」は大事だなって気づけましたね。

それからこう続けられました。
確かに何かを進めるうえで「でもさ」って指摘は必要だけど、発案の時点ではみんなに案を出してもらうことが目的だから、まずは出た意見を受け入れることの方が大事。出た意見に対してまずは「いいね」って自分の中に取り込む。そうすると発案も活発になるし、ほかの人の意見から新たな考えが浮かぶかもしれないしね。そこからその案を採用するか否かって話し合いの時に「でもさ」に続く懸念点を挙げて、みんなで考えていく。この過程、大事だよね。
みたいな感じで記憶に残っています。よく覚えてないけど。

私が所属している国際協力団体(1つ前ので紹介したやつです)では、この姿勢が既にあって、私が初めて参加した時からこれを感じていたので、この環境すごい…ってなりました。この受容的な姿勢(って一括りにしていいものかどうかはわかりませんが)も、この団体に憧れを抱いた一つの所以です。

誰かの意見に対して「でもさぁ~」って続けた経験ってありませんか?
私はあります。し、続けられた経験もあります。
意見が出た時点で、そう感じることもありますよね。

ここで私が提案したいのは、まずは「いいやんそれ!」ってちょっと肯定して受け入れようとしてみませんかってことです。

難しいことは言いません。一旦その考えを自分の中に取り入れるんです。話はそれからです。その人の意見を少し自分の中に取り入れるだけで、その人の一部を知れたような、知ったかぶりになるのは少し違うんですけど、その人を前より理解できたような、そういう経験ができるんですよね。貴重です。自分一人でできる経験ではないので。

そうすることでなにがいいかって、自分の中に新たな視点を取り入れることができるんです。多角的な視点を、とか視野を広げるために、とかよく聞くので、なんだか薄い内容のように聞こえちゃうのが少し残念です。

それでも私は声を大にして言いたい。
多様性の理解とか、協調性を高めるとか、多角的な視点を身に付けるとか、どんな目的であってもグループでの活動に関していえば、まずは人の意見をよく聞くこと、そして受け入れることが重要です。

これは私の18年間の経験から自信をもって言えることです。

人の意見を聞き入れることで視野が広がるんです。視野は勝手には広がりません。自分の行動や経験によって広がるものです。手っ取り早い方法として本を読んだり、講演を聞いたり、他者の意見を聞き入れたりすることです。
「自分軸」で物事を考えているだけでは、広がる視野もなかなか広がらず、考えが凝り固まってしまいます。一般的にその凝り固まった考えは成長するにつれ、矯正するのが難しくなります。まだ他人の意見を聞き入れられる今だからこそ、柔軟な思考を身に付ける必要があると思うんですよね。

全て持論中の持論です!ソースは私の経験です。(笑)

是非みなさんも、私の考え方を知って、取り入れてみてください!これを読んでくk出さった方は、私の一部を理解したつもりでいてもらっても問題ないです!!

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

その理由。

 

意味深なタイトルつけたかっただけです。(笑)
記念すべき17回目なので、大々的に書いてるアピールをする日なんです!
17回目になったら、というのは最初から決めていたので待ち望んでいた日がようやくやってきた、って感じ!!
初めてこれを開いてくださった方、ありがとうございます!!ここでは基本的に私の思うことを書き綴っています。これを通して何かを伝えたい相手がいる場合も多く、できるだけメッセージ性を持たせたいなって思いながら半分以上自己満足のための言語化練習みたいな感じですね。

まあ暇なときにでも読んでやろう!って感じで読んでもらえればなって!!
前置きが長くなりましたが、本日は「その理由。」というタイトルのもと満足感に浸りながら書いていきますので、最後までお付き合いください!

私はこの春学期に、関東の大学のインカレサークルに入会しました。

ええ、なんでぇってなりますよね。私も同じ質問をしたはず。(笑)
だからタイトルは「その理由。」

その団体は東京の大学生を主体とした国際協力団体で、今のところ関西の大学生の会員は私のみです。主にカンボジアラオスの教育自立支援をしていて、通常であれば渡航して実際に現地と関わりをもって活動するそうです。
今ではその活動にも制限がかかってしまっている状況で、主にオンラインで活動しています。嬉しいのか悔しいのかわかりませんが、だからこそ私は入会に踏み切れたんですよね!

でね、最初は憧れからだったんです。ある中高の先輩が会員としてインスタライブしで新歓されているのを見てその団体の存在を知り、話を聞いて素敵やん!!ってなって。急いで「関西から参加できますか?」とコメントをしたところが始まりです。(笑)

普通、ちょっと考えるじゃないですか。異例の参加希望者からの思いがけない質問なので!
先輩方はそれに対して、「ほんとに!?全然いいよ!」「ぜひぜひ~!」「私たちが嬉しいよ!」って即答。

それから見学に参加するじゃないですか。自己紹介をして「大阪に住んでます」って言うと、「小学生の修学旅行で行ったよ!」「おばあちゃんが住んでる!」「去年ユニバ行ったよ!」ってみなさん必死に共通点を探してくださるんです。(笑)

いや、もう嬉しかった。素直に嬉しかったんですよね。本当に本当に嬉しかった。

会の雰囲気が良すぎて、はじめましてのミーティングで『入ろう』って決めたんです。一目惚れに近い感じで。

ただ、懸念点を挙げるとするとやはり「物理的距離」ですよね。東京と大阪ですから、まあ冷静に遠い。(笑)サークルのレベルじゃない距離感。冷静になった時に、頭を抱えましたね。なぜかって?普通にめちゃくちゃ迷惑かけるやん、ってなったんですよ!

だから見学に参加するたび、そこにいた人たちに「あの、迷惑じゃないですかね」って聞いてみたんです。するとみんな、ほんっとに聞いた人全員が「なんで?」って。「全然迷惑じゃないよ!すっごい嬉しいよ!」って即答するんです。そういうマニュアルあるんかな?ってくらいに。即答ですよ。考えた?みたいなスピードで。(笑)

それを聞いて舞い上がりましたね。なんだかほっとしたというか、きっと迷惑をかけることがあるはずやけどみんなが口を揃えてそう言ってくれるのなら!って思っちゃって!
そこからは早かったです。懸念点はそれだけでしたから、思い立ってすぐに入会します!との連絡をしました。

全然「その理由」言わんやんって思ったでしょ。ここからなんです。(笑)
入ってからよく聞かれるんです。なんでわざわざ?って。
もともと『なんで』とかあまり考えずに思い立って行動しちゃうタイプで、直感を信じちゃうタイプで、行き当たりばったりの人生を歩んでいるんで。この理由はシンプルに「ここがよかったから」です。

はじめて説明会に参加した時から、ここの一員になりたいってビビビッときたわけです。(笑)なにより、雰囲気が好きすぎる。お話しした先輩方はどなたもいい人すぎたんですよね。心底、ここにおりたいって思っちゃったわけです。直感です。一度思い始めたらそれを実現するまでなかなか引けない性格ですしね。

理由付けはまあ、後付け可能ですよね。(笑)
あまりにもよく聞かれるので考えてみました!「その理由。」

一番大きい理由は人生で絶対関わらんやろって人との関わりを求めたから。
以前にも書いたのですが、なんせ人が大好きな私です。生まれも育ちも大学も関西の私は、関東とは無縁で、関東の大学に進学した友人もほんの数人です。関東の大学生と関わる、なんてことは私の人生でこの機会がなければきっとなかったことで、自由な大学生のうちに人生で絶対関わらなかったであろう人たちとの出会いを期待していた自分がいたのだと思います。

ほかは、真剣に国際協力に取り組めるから。
もともと国際協力には漠然とした憧れみたいなものがあって、やりたかったことを想像以上の形で活動されていたのがここだったんです。そもそも活動を通して得られるものが多そうだという第一印象が強くて、会員それぞれの情熱があって、皆が積極的になれる場所って最初から感じていました。ミーティングの始まりは楽しい雰囲気なのに、話し合いが始まると空気が真面目なものに変わるんですよね。国際協力に真剣に向き合う1時間がすごく新鮮で、充実そのものでした。みんなで作り上げていく感じがすごく好きで、楽しいと真面目を兼ね備えたそんな雰囲気で。(文字数文字数…)

後付けは他にもいくつかありますが、やっぱり一番大きいのは「良すぎる会の雰囲気」です。出会ってほんの3か月なのに、すでに大好きです。毎週水曜と土曜にミーティングがあるんですけど、水曜と土曜は朝からハッピーで、日々の楽しみになっています!この前、テスト期間ってことで1回休みになったんですけど、普通にショックでした。(笑)

良すぎる雰囲気の一例として、まずは肯定!吟味はそれから!みたいな姿勢について書きたいです。誰かが発案すると、絶対に「それいいね!」って。私は初っ端から「でもさ…」ってつっこまれるのが苦手で、そういう場面で発言を控えることが多かったんです。その「でもさ」に続く事柄ってきっと大事なんですよ。でも発案の時に「でもさ」があるのとないのでは発言のハードルってかなり違ってて、ないほうが活発にそれぞれのクリエイティビティを発揮できるんですよね。
それから話し合いを進めるってなると、「でもさ」に続く事柄についてみんなで考え始めるんです。この姿勢がある環境って素晴らしいなって。

この点については次回に回しますね!

大好きすぎて書ききれない…いつも通り全くまとまりのないものが完成しました。(笑)
とりあえず最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
お疲れさまでした。(笑)【2778文字】????

知らないからって、人を遠ざけないで!!!

 

突然ですが、皆さんはSWKAI NO OWARIさんの「プレゼント」という曲をご存じですか?
私が小学生のときにNコンの課題曲として制作された楽曲で、「人生における難問に立ち向かっているときはすごく苦しいけれど、その経験は大人になっても忘れないし、糧になっているはず。だから今はつらい気持ちを抱えているかもしれないけど、歌詞の中でどこか好きなフレーズを見つけて大切にしてほしい。」といった思いが込められています。何気なく見ていたNコンから知った曲で、初めて聞いた時の衝撃が大きかったことを覚えています。歌詞が最高に良くてどんな時の私にも響く、大好きな曲なんです。

『「知らない」という言葉の意味 間違えていたんだ
知らない人のこといつの間にか「嫌い」と言っていたよ』

フカセくんのやっさしい歌声から始まるんですよね!
ありますよね、第一印象とか噂とか偏見とかで知らない人のことを「嫌い」って表現してしまうこと。それを悪いかどうかについては人それぞれの捉え方があると思いますが、私はもったいないなと思ってしまいます。

確かに一緒にいて、自分がハッピーじゃないのなら、一緒にいる必要はありませんし、距離を置くこともできます。中高生の間はクラス、とか席替え、とかがあってどうしても苦手な人と離れられない、なんて状況があるかもしれませんが、大学生の場合は自由です。わざわざ自分が不幸せになる必要ってないじゃないですか。

でも最初からそう決めつけて、自ら壁を作って距離を置くなんてことをしてしまえば、もしかしたら仲良くなれたかもしれない人を遠ざけてしまったことになるんですよね。その人と仲良くなれるかどうかは誰にも分りませんよ。でも確率は0ではないんです。

中学生になりたての私はそうでした。今考えると視野が狭かったんだろうなとその頃の稚拙さに笑ってしまいますが。もっと大人な気持ちを兼ね備えていたかったですね。(笑)
そんな経験が自分にもあったからこそこう強く思うのであって、無駄ではない経験ですね。

『「知らない」ことは怖いから 醜い言葉ばかり吐き出して誤魔化して 自分のことまで嫌わないで』
と続きます。

知ったかぶり、じゃないですけど、知らないから憶測で遠ざけてしまうんです。知ればいいのに知ろうとせず、勝手に距離をおいてしまうんです。こんな経験ありませんか?

繰り返しになりますが、「知らない人」に対して勝手に抱いたイメージによって、その人との関係を築くことさえやめてしまうのは本当にもったいないことだと思うんです。

壁を作ったり、一線を引いたり、距離を置いたりするのは、関係を少し築いた後でもいいんです。全く遅くない。

知らない人に対しての偏見は一旦置いてみませんか?

その偏見はどこかしら合っているのかもしれません。でもその偏見って人から聞いた噂とかSNSの雰囲気とかから勝手に自分の中で作られたイメージ像でしかないんですよね。人から聞いた話を基にしているのであれば、それは話した人はそう感じただけで合って、必ずしも自分も同じように感じるとは限りません。

他人が持ったイメージによって自分の中のイメージを固定することはやめてみませんか。
第一印象のみでその人と合う、合わないを決めつけるのはやめてみませんか。
偏見で「知らない」人のことを遠ざけるのはやめにしませんか。

せっかく出会えたのも何かの縁ですし、巡り合えた人から学べることって本当にたくさんなんですよね。私はそれを知っています。知っているふりをしているだけですが、そういう考え方を持っていると些細なことも学びだと捉えるようになれますし、常に人から何かを吸収しようとするようになります。

これって素敵じゃないですか?

いくら苦手な人からでも学ぶことはたくさんあるんです。
もう少し深く知ると面白い人なのかもしれませんよね。(笑)
何を言いたいかって、私もまとまらないなと思っているところなので難しいんですけど、とにかく勝手に「知らない」人のことを決めつけて遠ざけることをやめてみませんかって提案をしたいんです。そして「人から学ぶ力」を身に付けることで寛容な心を手に入れることができるんじゃないかなって思ったんです。

皆がそうする必要があるかどうかは置いておいて、私は生きていく上で、とっても大切なことだと思っているので、共有したかったんです。是非参考までに!!

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに。

自分の名前

 

こんにちは!今日は「自分の名前」について書いていこうかなと思います!本日ももちろん私事ですが、お付き合いいただけると嬉しいです!

私の名前、「はるか」を好きになるのには、長い時間を費やしました。実は小学生の頃からあまり好きになることができず、中学高校では名だけでなく、姓まで嫌いになってしまったんですね。(笑)

その大きな理由は「はるか」が多すぎるから。
(キャラ被りみたいなのがすごく苦手なんですよね。マイノリティでいたいみたいなそういう性質があります。)
2文字の名前に憧れを抱いていたから。
姓はなんか濁点があって、各数が多く、かわいげがなかったから。
そして何より、友達から姓で呼ばれることが多かったから。

中高は女子校で、学年は120人くらい。そのうち、「はるか」は5人いて、高1のクラスでは35人中4人「はるか」がいるという異常現象が発生していました。で、いつからか私は名字で呼ばれるようなそんなキャラクターになっていたようです。まあ「はるか」が多いから仕方がない部分ではありました。が、私は「はるか」と呼んでほしい、そう心の奥底で思っていたことがあります。(笑)

で、大学生になってすごく驚いたことがあります。
それはみんなお互いを基本的に下の名前で呼び合っていることで、数か月前の私には想像もつかない状況でした。だって男の子の名前は名字で呼び捨てが基本(小学生の頃の記憶)でしたし、中高では名字で呼ぶ人も多く、私もそう呼ばれる部類の人間だったのでそれはそれは驚愕のルールでしたね。(笑)

だから大学生になってから「はるか」と呼んでもらうことが激増しました。そこで私はようやく、ちゃんと「はるか」になれた気がしたんです。今までいろんな呼ばれ方をしていた中で「はるか」に統一されたわけですから。

なにより、私は先輩から「はるかちゃん」って呼ばれることにすごく抵抗があったんです。なんか…遠くないですか?先輩ともっと仲良くなりたーい!!ってなってました。大学生になると先輩からも「はるか」と呼んでもらえるようになったんですね!!

でね!私がすっごくお世話になってて、大好きな大好きな先輩は文面上でいつも「晴香」って変換してくれるんですよね。今までは意識したことがなかったんですけど、「はるか」より「晴香」の方がより嬉しい気持ちになります。なるんですよ!!

「はるか」は多いけど、「晴香」はその「はるか」の中からさらに選別された人のことを指すからでしょうか。パーソナライズされた連絡やぁってなるからでしょうか!!
さらに“私”感があるからでしょうか。些細なことなんですけど、すごく嬉しいなって思うんですね。そう思い始めてからは私も文面上ではわざわざ名前を変換するようになりましたね。(笑)そうすることで、相手ともっと親密になれた気がしちゃうんです勝手にですけどね!!!!ほんの些細なことなのに、面白いですよね。(笑)


名前のこととなると由来について書きたくなって!
「晴香」の由来は「晴れの日にみんなが清々しい気持ちになるように、私に関わる全ての人を明るい気持ちにさせる活発な人に育ってほしい」という両親の願いからでした。
今のところほぼ由来通りだと自負していますが、いかがでしょうか。(笑)

私の人生のテーマの一つに「私に関わる人に出会ってよかったと思ってもらえるような人になる」というのがあります。大それたテーマだと思われるかもしれませんが、高校生になったころからこう思うようになりました。HOWはたくさんあって頭の中が散らかるのでまた後日、ですね。
先日、自分の名前の由来がこのテーマにぴったりだと気づいてから私は「晴香」になるべくして「晴香」になったのかなと思いましたね。(笑)
めちゃくちゃ理論ですが、今では自分の名前が大好きです。

大好きな人たちに「晴香」と呼んでもらうことが増えて、自分の名前をめっちゃいい名前だと言ってくれる人がいて、自分の名前のおかげで幸せが増えました!
し、胸を張って「晴香」でいられるようになりました!

自分の名前を好きになることって自分を好きになることの第一歩として、もの凄く大事だなって思うので、皆さんも名前から自分を好きになっていきましょ~!

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!!