avectoi17’s blog

関西の大学3年生!私の思惑ブログ。

人生の主役は自分でしょ!

 

ご無沙汰ですってご挨拶が定型化しているような…(笑)
いや、すごい、みんなの期待を裏切らないですね、さすが私!

継続は力なり、ね。はいはい。確かに文字化、言語化の力、かなり落ちてますね。
取り戻さなきゃ!

最近よく思うんですよね。
やっぱ何がどう転んでも、人生の主役は自分でしょ!!って。

他人の目を気にして自分を殺しちゃうときって結構あると思うんです。
確かにその場を乗り切るには『我慢』は必要だし、何かを『諦める』ことも大事です。
誰かの『自己犠牲』によって世界のいろいろは成り立っています。

だけど、忘れないでほしいし、忘れたくない。
自分の人生の主役は自分だよって。

我慢とか諦めとか自己犠牲とか、それが当たり前になっている人はたくさんいるはずです。

そして、誰かのために何かをする、誰かのために自分の何かを我慢する、諦める、犠牲にする、これに喜びを感じる人もいるかもしれません。

私はそれを悪いことだとは思っていなくて、むしろ素敵なことだと思っています。

でもね、たまには、辛いって思ったら、一度立ち止まって、自分が本当にしたいことを自分に聞いてみてもいいと思うんです。

別にやりたくないことから逃げてもいいんだよって言いたい。
辛いならだれかと共有しなよって言いたい。

辛いって経験は確かに重要だし、そう感じる瞬間があるからこそ、より幸せを感じられるのかもしれません。
辛い、しんどい、苦しい、って自分一人で空回りしてもがいている状況って、自分がまるで人生のわき役になったように、影武者になったように感じると思うんですよね。私はそうです。誰かの陰に隠れてこそこそと裏方をやっているような、そんな気分になります。

そんな時、自分に問いただしてみるんです。

それで幸せなん?って(笑)
嫌なら逃げてもいいよって自分で逃げ道を作ってあげるんです。
主役が辛いってどういう人生?もう少し自分勝手になってもいいんじゃない?って。(笑)

そうすることでかなり楽になれるんですよね。

そんなに一人で辛い気持ちを抱える必要はないし、あなたばかりが我慢する必要もない。
誰かを助けてあげられるのは自分しかいないって思っちゃうかもしれないけど、案外そんなことないんだ。そんな自分に固執する必要もない。
もっと自分に時間を、お金を、気持ちを割いてもいいと思う。

自分の代わりは他にもいるって思ってる方が気持ちが楽じゃない?

ちょっと悲しいけど、自分がいなきゃ回らない、なんてことはなくて、自分一人がいなくなったって世界は平然と回っちゃうんだ。

だからあなたが気負う必要はない。誰かを頼ってもいいんだよ。

そう、伝えたい相手が多いなって最近思うんですよね。だからようやく書きたいことが書けそう!って書き始めました。言いたいことの半分は伝えられたかなって!
もっと自分の優先順位が上でもいいと思うし、もっとわがままになってもいいと思う。
みんな、我慢しすぎだよぉって思う。(笑)

みんなで抱えていこう!一人で抱えないで。
共有してほしいな!

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!!
思いの丈を綴れて幸せでした!

自分の知らない自分

 

ご無沙汰しております!10日以上あけてしまいましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。暑さも和らぎ、秋を感じることが多くなってきてルンルンと私の気分は上昇しております。

毎日投稿しようとパソコンに向き合ってきましたが、なかなか自己満足にも満たない文章ばかりが出来上がってしまい、不良品続出の工場状態でした。久々に投稿できるのが、すっごい嬉しいです!!本日も最後までお付き合いくださいませ!

自分の知らない自分には2種類あると思っていて、ひとつは「他人は知っていて、自分の知らない自分」、もうひとつは「他人も知らない、自分も知らない自分」です。まあよく言われるアノ図のまんまなんですけどね。(笑)(十字線を引いて他人が知っている、知らない自分、みたいな感じで分ける図ね。伝わる人には伝わってるでしょう。)

私はその、「他人は知っていて、自分の知らない自分」を知りたいなって思うんです。

後者はもう知らなくていいです。
知った時点でその枠からは除外されるので知らないものなんです。仕方ない。(笑)

他人は知っていて、自分の知らない自分。

自分の知らない自分、というとあまりピンとこないかもしれません。
自分が認識していない自分の一面と言い換えるとわかりやすいでしょうか。

新生活が始まって、はじめましての相手と話すことが多くなって思いました。
相手からどう思われているのだろうって。どんな印象を持たれているのだろうかとか。私の第一印象ってどんなだったのか。私の雰囲気をどう感じたのかって。

すっごく気になりましたね。

これは「他人は知っていて、自分の知らない自分」というよりかは、「他人が捉えた自分」というか。うまく表現できないですけどすこし異なっているものですよね。

でも判断材料としたものはきっと自分関連の要素なので、それもある意味、自分の一面なのかなと思ったりします。

何が言いたいか要旨が掴めないって?
ここ最近、こんなどうしようもない文章ばかりを大量生産してきて、これがまだましな方なんです。我慢してください。私も要旨、掴めてないので。(笑)

大学の友人に言われました、初めて会った時お姉さんみたいな人なのかと思ったって。
大学の友人に言われました、後輩よりも先輩が好きなタイプやろって。
高校の友人に言われました、行動力がすごいなって。
高校の友人に言われました、いつも楽しそうやなって。
高校の先輩に言われました、人のこと良く見てるなって。
高校の先生に言われました、合理的な人だと思うって。
高校の先生に言われました、分析する力が鋭いねって。
バ先の大人に言われました、よく周りを見て動ける人材だねって。
そのへんのおばあちゃんに言われました、明るいねって。
両親に言われました、当たって砕けろ精神にもほどがあるだろって。
関わる人みんなによく言われます、よく笑うねって。

こうやって今まで、「私」という人物に関する情報をたくさん得てきたわけです。
どれも「私」の一面なんですよねきっと。

お姉さんみたいな人なのかと思ったって言われたときは驚きましたが、そう思われる要素がどこかにあったからこそそう思われたわけです。だからそれも私の一面ですよね。(ちょっと拡大解釈を含む)
ちなみに、これを言った本人曰く、こんなにポンコツだとは思わなかった、らしいです。
後に気づいた、「ポンコツ」というのも私の一面ですよね!(笑)

ある一人を構成する要素ってめちゃくちゃあって、切り取り方によって全く異なった一面になるし、あの人は知っているけどこの人は知らない私の一面とかももちろんあるわけです。

うまく表現できませんが、そう考えると、自分の知らない自分、知ってみたくないですか??

そんな風に思われてたんや!!って気づき、なかなかに面白いです。
そしてそう思われる所以を辿るとさらに面白味アップです。

何気ない日常会話から新しい(自分の知らない)自分を見つけたとき、これも私の一面なんやぁって思うと、自己分析にも繋がって、「自分とはどんな人物か」みたいな哲学が始まりそうな問に向き合えるようになります。

何が言いたいんだ。

「あなたからみて私とはどんな人物か」とか「私の第一印象」とかすっごい気になるわけです。だからこれを機に、是非教えてください。

単語だけ送りつけてくれても、文章で語ってくれても、絵で表してくれてもオールオッケーです。暇なら教えてください!(笑)

絶不調な文章にお付き合いくださり、ありがとうございました!!!
次回はまたまたHSPについて書いていきたいと思います。

ばいばーい

周りの刺激に敏感な性格【HSP】

 

みなさんHSPを知っていますか?

本日はHSP【highly sensitive person】について書いていきますね。

最近よく耳にするようになってきた、HSPですがみなさんはご存じですか?
日本ではHSPのことを「繊細さん」と表現する人もいます。
一体これは何なのかというと、『人間の性質』を表すものです。

どこから書こうかと大変悩んでおりますが、心に移り行くよしなしごとをそこはかとなく書きつくろうと思います。

私は小学校に入学する前から自分の精神年齢の高さには自負がありました。自負があったというか、周りより少し大人だなと思っていたんです、自分で。(笑)だって常に弟の面倒を見ていいお姉ちゃんしてたし、どこに行っても「しっかりしてるね」って褒められたし!!!

小学生になってその自覚が強まったように思います。周りはまだ幼いなぁと感じて何でこんなこともわからんの?ってなることも多かったですし、ほかの人に比べて新しいことの呑み込みも早い方でした。それから新しく始めたことをいかに効率的に進めることができるかということを常に考えていました。そして特に大人たちが私に求めていることを汲み取ってそれ以上のことを実行する、ということが得意でした。

こんなことをしたら母は喜んでくれるだろう、とかあんなことをしたら先生は褒めてくれるだろう、とかそういうのが分かっちゃうんですね。中学に上がっても高校生になっても、そして大学生になった今でも。自分が実際に大人に近づくにつれてその能力は衰えつつある、というか大学生に対してその期待を隠す大人が増えてきたため読みづらくなってきましたが、それでも大体読めちゃいます。

大人からすると、まさに「出来のいい子供」だったと思います。自分で言っちゃいます。自分でも「いい子」を演じていた自覚はありましたし、やりたくなくてもそうなっていたからです。もはや不可抗力。(笑)

あと私は感受性が豊かであるという自覚もありました。ただテレビで流れているアニメや映画、ドキュメンタリーで涙を流すことは多かったですし、誰かが傷ついているという事実に対して自分も同じように傷つくこともありました。誰かの立場になって、というか感情移入することが本当に多いんですね。

それから自分の性質で最も困ったのは、自分のことを訴えるとなると涙が止まらないことでした。何かを訴える、例えば進路の話とかね、自分のこととなると徐に涙が出てくるんです。最後まで話し終えることなく嗚咽がひどくて結局言えなかった、という経験があまりにも多いのです。涙ながらに訴えるけれど、相手からするとなんで泣いてんの?って状況です。理解してもらえなかったですね。

悔しいとか、むかついているとかそんなんじゃなくて。普通に、涙が止まらなくなるんです。

っていうそんな性質に悩まされつつ、でもみんなが同じようなものだと思っていたんです。私が知らないだけで、みんなこういう性質を持っていると思っていました。違ったんですねぇ。それに気づいたのは中学2年生くらいの頃でした。

なんで悩んでいたかと言うと、人の考えていることが分かりすぎてしんどかったんです。
もちろん自分の推測でしかないです。でもその推測、殆どが合っているんです。98%くらいの確率で合致です、まじで。

両親や友人、教師はもちろんのこと、部活の先輩や全然自分に対する感情じゃなくても他人の他人に向けた感情とか、大体わかるんです。だからその相手が喜んでくれるように尽くしていましたし、相手の思いを知っているのに知らないふりをする自分が怖くてつい、相手の意向に沿うように努めていました。もちろん自己犠牲ですよね。完全なイエスマンを目指していたようでした。

そうすると自然と相手からは好印象を持たれて、その点私は得することもありました。それが良かったのか悪かったのかは知らないですけどね!

高校生の時にいつも通りインスタ巡回をしていると、「繊細さん」まとめをしている投稿に出会いまして、そこで初めて【HSP】を知ったんです。

めっちゃ敏感な人。読み進めると、いや私やんこれってなったんです。(笑)
自分のこととなると涙が止まらない、とかめっちゃ周りに気遣う、とか周りのご機嫌伺うのが得意、とか人が多いところに行くと疲れる、とかその投稿内の9割くらいが該当していたんです。いや、これやん~~って。その時は嬉しかった。今まで無意識に苦しんでいたのは自分の性質のひとつだったんだと気づけたことに喜びました。

無意識に苦しんでいた自分の存在に気づくきっかけにもなりましたし、新たな自分を見つけられた感覚でした。そしてなにより、病名が判明すると対処法が分かる、みたいなノリで自分の性質がカテゴライズされたことへの安心感が半端なかったです。

その投稿に出会ってからそれ関連のアカウントを積極的にフォローしたり、動画で学んでみたり、ネットで調べてみたりして私なりに自分を知ろうとしてみました。それからというと自分の性質とのうまい付き合い方を知って、以前ほど悩むことは減りました。あ~めんどくさい性質だなと思うこともありますが、得してるなぁと思うこともあって、みんなそれぞれやなぁって実感してます!

得してるなぁって思う場面は少なくないんですよね。大学生になって課され始めたレポート課題は、大体どんな内容を書くと教授から高評価をもらえるのかの見当は付きますし、どんな風に受講すれば喜んでもらえるのかというのも大体察することができます。面接ではこんなこと言ってほしいんやろなってこともある程度汲み取れますし、この人は私にいい印象を持ってないなと感じることもできてトラブル回避ができます。

自分を知って、自分の性質とうまく付き合えるようになりつつあるこの段階は私の中で結構重要でした。

ここからHSPについて書いていこうとしていたんですけど、HSPの導入みたいになっちゃいましたね。(笑)次回HSPとはなんぞやってとこを触れていきたいです!

 

ありがとうございました!!

アナログの方がいいときもあるよね

 

本日はタイトルの通り、「アナログ」について書いていきたいと思います。最後までお付き合いくださいね。

はじめにみなさんに知っていただきたいのは、私は手紙が大好きだということです。
おそらく私と長い付き合いのある人であれば、周知の事実ですよね。(笑)

保育園に通う頃から手紙が大好きで、小学生の頃も、中学生、高校生と成長しても、私と人との繋がりに欠かせなかったのは「手紙」でした。

保育園の時のクリスマス付近の記憶はかなり鮮明に覚えています。12月になる頃にダンボールで真っ赤なポストを作ったんです。ちぎった折り紙をペタペタと貼って、のりでぐちゃぐちゃにする男の子を怒っていたのを思い出します。(笑)クリスマスが近づくとサンタさんにお願いの手紙を投函するんです。すると、サンタさんからお返事が届くんですよね。それに何が書いてあったのかは忘れましたが、かっこいいなって印象が強かったので英語だったのかな…とにかく、返事が来たことへの喜びが大きかったんです!!サンタさんと繋がってる!!!みたいな感じが嬉しくて仕方なかったです。(笑)

それが手紙を好きになったきっかけのひとつですね!

みなさん、手紙は好きですか??最近、手紙を書きましたか??

私は手紙を書くのも、もらうのも好きです。書くと自分の文字に気持ちを込められている気がしますし、その気持ちが届くように思うからです。そして手紙をもらうとまずはとーっても嬉しくて、人からもらう言葉って私にとって特別で大切で、ちゃんと形に残るところが手紙の推しポイントですね!!!その人が私のために時間を割いて書いてくれたという事実が嬉しいというか。(笑)

でも残念なことに成長するにつれて手紙の遭遇率は激減します。中学生になって自分のスマホを持つようになったので、手紙を書くことは減りました。高校生になると殆ど書くことがなくなりました。悲しいことに大学生になると、LINEやインスタでのやりとりが主流で常に繋がれる状態にあるのでわざわざ「手紙」を通して繋がることはなくなりました。

デジタル化のおかげで、私の大好きなアナログの良さがすり減っていく現状に悲しみを覚えます。

でも逆に、デジタル化が進んでしまった今だからこそ、「自分の書く文字を使って伝える」ということへの希少価値が高まっているんですよね!!

本当に切に伝えたい思いを便箋に乗せて届ける、って素敵じゃないですか?

手紙を送ることが減ったからこそ、1通に込められる思いって大きいと思うんです。なんというか、手紙をもらうことが減ったからこそ、もらった時の喜びって以前に比べて大きくなったはずです。

今回のを端的にまとめると、たまには手紙書いてみるのもいいかもよ?ってことです。あわよくば、是非私に書いてください!ってことです。(笑)

私はパンデミックが始まって以来、入院している祖母とは疎遠になってしまいました。なんせ病院に入れないので。高校生の頃は学校の帰りに立ち寄って一緒にご飯を食べたり、お土産を持って行ったり、お話をしたりしていたんですけど、私が忙しいだろうって遠慮して電話することも殆どなくなってしまっている状況です。だから大学生のうちに2か月に1回くらいのペースで絵葉書を送ることにしました。

いつまで続くかなぁというところ、心配ですよね!私のことですからすごく不定期便になるかもです。(笑)それでもこのブログ同様、細く長く続けていきたいと思っているのでたまに進捗をお伝えしますねぇ!お楽しみに!!!

本日はこのへんで!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!!

スポーツウォッシング

 

本日は私らしくないような文章になりそうですね。日本人だからでしょうか。批判に対する批判って凄まじいですよね。Twitterで批判しようものなら擁護する人が出てきて、文面上で言い合いみたいなのが始まっちゃってるのを何度も見かけました。

多様性について考えることが多い私ですから、もちろん意見の多様性も受け入れる努力はしています。しかしながら、やはり自分と異なる、特に正反対の意見に対しては受け入れることが難しいときも多いです。

多くの人がそうだと思うんです。同じように、自分とは違う考えに対して強く対抗心を抱いたり、理解を示せなかったりして結局自分の殻に閉じこもってしまうんです。それを克服するためにこれを書こうと思います。

政治的な話(特に政権批判)やちょっとお堅い、難しそうな話についても自分なりの見解を書いていきたいと思います。もちろん、これは私の考えですから違う考えの人がいて当然ですし、私も自分の考えが最も優秀だとは思っていません。だから私はこう思うんだけど…とかあれば是非ぶつけにきてください。自己満足には変わりありませんが、みんなが避けがちな、煙たがられるような話題にも触れていかねばならないなと思う毎日です。

どうしてもいい部分にだけ過剰反応し、都合の悪い部分に気づいたとしても気づかぬふりをしがちですよね。一度立ち止まって自分なりの考えを形成してみませんか?その一つの過程として私はこの「文字化」の練習場をお借りしたいと思います。

良かったら最後までお付き合いくださいませ。いつもより少し読みにくいものとなっております。読み進めたくなかったらここまでで閉じていただいても構いません。前置きが長くなりましたが、それではいきましょう!!

みなさん、『スポーツウォッシング』という言葉をご存じですか?

私はついこの間知りました。【スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らす】という意味です。
元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』の中で使った言葉です。

東京五輪に関しては皆さんご存じの通り、誘致が成功してから様々な問題とともに開催にまで至りました。

エンブレム盗作疑惑、新国立競技場が建設費問題でデザイン案を白紙撤回、開会式音楽担当の小山田圭吾氏いじめ問題、森喜朗氏女性蔑視発言、もっとたくさんありましたよね。国家をあげた大運動会とは思えないほど問題だらけでした。2000年以降の五輪メーンスタジアム整備費はシドニー480億(‘00)、アテネ360億(’04)、北京510億(’08)、ロンドン580億(’12)、リオデジャネイロ550億(’16)、過去5回分の合計が【2480億】でした。そして今回、東京五輪はというと、【2520億】が整備費として使われたそうです。過去5回分の合計より多いんですよね。びっくりです。

そう、スポーツウォッシングの話をしていたんですよね!(笑)

この責任者関係の問題は、当人が『辞任』という形のみで罪滅ぼしした、と言わんばかりの顔をして反省の色を一切見せることもなく表舞台を去っていき、収まったかのように扱われました。またその他のコロナ対策の面に関しても多くの問題と疑惑を抱かせたまま強行突破して開催に踏み切りましたね。同じ言葉をロボットのように繰り返し、答えになっていない答弁に対する重ねての質問を規制し、なんとか逃げて隠れて開催した五輪。みんなが逃げました。隠れました。

ここで出てくるのが「スポーツウォッシング」です。みんな逃げて、隠れて、隠して。そしていざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的な疑惑をすべて忘れてくれると思っています。主語がなくてもわかるでしょと言いたくなりますね。(笑)

この国で起こる問題の殆どが同じ形をしています。問題視される→逃げる→忘れてもらうという流れが続きます。次々と問題が湧いてきて、ろくに検証もせず次の問題に移行してしまいます。途中なのに逃げてしまい、逃してしまう。毎日のように新たな問題や不祥事がニュースや記事を独占し、問題視される対象が移り変わる。そしてそのうち忘れられる。

スポーツウォッシングという面からいくと、その忘れる過程までに「誰かが創り出す、感動」があります。選手たちはこのステージに向けて必死にそのスポーツに取り組まれてきたのは理解しています。しかしながらその努力や頑張り、成果を「逃げ続け、隠れているえらい人たち」に搾取されているのです。

どれだけ国内で五輪開催に対する批判や悪評が集まったとしても、いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、国民が逸れに乗っかり、様々な疑惑をすべて忘れてくれると、えらい人たちは考えているのです。

実際、開催以前(5月時点)の国内では、開催反対派は8割を超えていることが世論調査で明らかになりました。しかしながら、いざ開催されると「#東京五輪の中止を求めます」というタグがTwitter上でトレンド入りしたくらいで、多くの国民が東京五輪を開催してよかったと、それなりに楽しめた、と満足する様子が伺えました。

ほら、えらい人たちの思惑通りでしょと言わんばかりの文面になってしまいましたが、私が声を大にして言いたいのはまさにこのことなんです。

多くの人が五輪に夢中でした。
別に五輪に夢中になることを批判したいのではなく、強行突破してまで五輪を開催した代償は大きいことをスポーツの感動で揉み消されて終わってしまってはいけないということを知ってほしいのです。
東京五輪を開催してよかった!」と歴史の教科書に残せるかといえばそうではないと思います。

開催の代償。

スポーツウォッシングによって閉会後に残るものはなんでしょうか。

国民の満足感、充足感でしょうか。

私は断固反対派だったので、開催後もメダルがいくつとかどの競技に日本人が勝ち進んでいるのかとかどうでもよかった。

ただ単に、みんななんで見れるんだろうって疑問に思っちゃってました。

この五輪開催強行突破を通して露呈した日本政府やIOCの対応をはじめとした様々な問題に目を向け、それを問うていく必要があると思っています。感動した~!で終わらせてはいけない、逃がしてはいけない、そう強く思うのです。

ここまでお付き合いいただいたみなさんに共有したいYouTubeがあります。
「せやろがいおじさん」で検索してみてください。
沖縄のお笑い芸人の「せやろがいおじさん」は日本にある問題についてわかりやすくて面白味のある例を挙げてかみ砕いて説明してくださっています。すごく見やすいのでおすすめです。問題意識をもってニュースを捉えるきっかけになるはずです。お時間あるときにご覧くださいね!彼のTwitterもタメになります!

本日はこのへんで!長くなりましたが、ありがとうございました!たまには真面目に自分の考えを訴えるものも書いていきたいと思います!
お疲れさまでした!!

よく笑う

 

今回は前回の「人に恵まれすぎている私」に書いたように、「よく笑う」について書いていきたいと思います。私らしい文章になるのではないかなとワクワクしているところです!(いつもよりもまとまりの悪い文章です今回は…)是非最後までお付き合いください!

皆さんご存じだとは思いますが、文字通り私は「よく笑う」のです。

もともとは場の空気を和ませようとしてよく笑うようになったんですよね。皆が黙り込んでしまう場面とか、誰かがイライラしている場面とか、擦り付け合いみたいな場面とか。苦手すぎて、自分でその場面を覆そうと頑張った結果、生み出された方法が笑顔でいること、だったんですよね。(笑)防衛本能。

だけど今では心の底から笑っていることが殆どです。笑顔の導入というか意識して笑顔でいるようになった理由は本当に感動の欠片もないものですが、その過程があったからこそこんなによく笑う人間になったんだと思います。(笑)人生に無駄なしとはこのことですね。

高校生になって、あなたの笑顔は素敵ね、と言われることが増えました。中高毎年1回学校に来てマナー講習をしてくださる先生には中学1年生の初めての講習の時にめっちゃくちゃ褒めてもらって、それから毎回講習の後の休み時間に決まって、今日もあなたの笑顔は素敵だったわ、ありがとうって言われていました。(笑)

そして大学生になって初対面の大人や先輩から笑顔いいねって。私も元気になるよ、ってそういってもらうことが急増したんです!!そこで初めて自覚したんですよね。笑顔でいると私はもちろん、関わって下さる人も明るい気持ちになるんだなぁって。

私の大好きな友人はいつも「私はほんまに晴香の笑顔が大好きやねん。めっちゃいい笑顔や。こっちが嬉しくなるねん。」って言ってくれるんです。いっつも!!自己肯定感爆上がりですよね。(笑)
親しい友人からそう言ってもらえるの、幸せすぎません??

今アルバイトをしているしゃぶしゃぶ屋さんで採用される際には、店長から「その素敵な笑顔の持ち主であるあなたと一緒に働きたいです!」って言われました。(笑)
そして勤務中にはたくさんのお客様からあなたの笑顔素敵ね、とマスク越しの笑顔を褒めていただくんです。これには驚きましたね。(笑)

本当に、笑顔でいつづけると『楽しい』を感じることが人より何倍も多いんです、きっと。そして笑顔は周りを惹き付け、幸せを呼びます。『楽しい』が増大します。いいこと尽くしです。

だから無理に笑えって言いたいんじゃなくて、ふと気づいたときに笑顔でいることを意識してみるだけでQOL上がっちゃいますってことを伝えたいんです。
日常の幸福感、少ないなぁって人にはまず、笑顔を意識的に取り入れてみることをお勧めします!

自分が笑顔でいると自分も気分がいいし、周りの人の気分もよくなるんですよね。簡単に想像できると思うんですけど、にこにこしている人の横にいるのと、ぶすっとしている人の横にいるのとでは気分が全く違いますよね。まあ、そういうことです!

相手に受容的な態度を見せる、という点からも笑顔でいることが重要です。

こんな事グダグダ書いてても仕方ないんですけど、まじで笑顔でいるといいことだらけなんですよ!!私はその恩恵を受けていることを初めて自覚したのは周りに言われてからですね。最近気づいたことが多いんです。思い返せば思い当たる節は多くて。

「笑顔は最高のお化粧です」って中高のマナー講習で言われ続けましたが、これ、信憑性高いです(笑)ってことだけ最後に言わせてもらって終わりにしますね!!!

私としては、簡単じゃーん得意得意!って思ってこの回に取り組んだわけですが、私が笑顔で常にいる側の人間しか経験してないので、反対側の人の視点に立つことが難しかったですね。(笑)思っていたようにスラスラと書けず、かなり手こずりました。(遅くなった言い訳です)

夏休みなので超自分ペースで書いていきますね!出来次第どんどん出していきます!お楽しみに!!

まずは肯定!って姿勢、めっちゃよくない?

 

前回の続き!といいながら前回知らなくても全然いけます。が、知ってる方が何の話か分かりやすいかも。
前回は調子に乗って書きすぎました。レポートレベルの大作ができましたね。()
本日はタイトルのまんまです!最後までお付き合いください!

私の所属先の環境というか、そこの人たちの姿勢が良すぎるって話。
発案に対して「それいいね!」って。意見を受容する姿勢が先輩方みなさんに備わっていて、新入生にも伝染している素晴らしすぎる姿勢について書きたいんです!!!

振り返ってみると、私はこうしたらいいのに、とかこんなことしたら面白いのに、とか思いつく考えはあるのに、なかなか発言できないことが多かったです。理由を考えてみると他の人にどう思われるのかを恐れたから。それこそ私の発言に対して「でもさ…」って言われた経験のトラウマからでしょうか。とにかくどう思われるのかが気になりすぎていたんです。だからといって他の人が発案するかといえばそうでもなくてっていう…私の嫌いな沈黙が続いてしまう羽目になることもよくありました。

ある先輩にこの話をしたんです。すると「確かにそうだよね。」って。
「でもさ」に続く事柄って絶対大事。考慮すべきこととか気を付けなければならないこととかだから。話を進めていく上で、この「でもさ」は必要なんだよね。って話してくださったんです。
それまでの私は「でもさ」に対して、場の流れを止めたり空気をかき乱したりする悪魔のワードのように捉えていましたが、こう言われて確かに「でもさ」は大事だなって気づけましたね。

それからこう続けられました。
確かに何かを進めるうえで「でもさ」って指摘は必要だけど、発案の時点ではみんなに案を出してもらうことが目的だから、まずは出た意見を受け入れることの方が大事。出た意見に対してまずは「いいね」って自分の中に取り込む。そうすると発案も活発になるし、ほかの人の意見から新たな考えが浮かぶかもしれないしね。そこからその案を採用するか否かって話し合いの時に「でもさ」に続く懸念点を挙げて、みんなで考えていく。この過程、大事だよね。
みたいな感じで記憶に残っています。よく覚えてないけど。

私が所属している国際協力団体(1つ前ので紹介したやつです)では、この姿勢が既にあって、私が初めて参加した時からこれを感じていたので、この環境すごい…ってなりました。この受容的な姿勢(って一括りにしていいものかどうかはわかりませんが)も、この団体に憧れを抱いた一つの所以です。

誰かの意見に対して「でもさぁ~」って続けた経験ってありませんか?
私はあります。し、続けられた経験もあります。
意見が出た時点で、そう感じることもありますよね。

ここで私が提案したいのは、まずは「いいやんそれ!」ってちょっと肯定して受け入れようとしてみませんかってことです。

難しいことは言いません。一旦その考えを自分の中に取り入れるんです。話はそれからです。その人の意見を少し自分の中に取り入れるだけで、その人の一部を知れたような、知ったかぶりになるのは少し違うんですけど、その人を前より理解できたような、そういう経験ができるんですよね。貴重です。自分一人でできる経験ではないので。

そうすることでなにがいいかって、自分の中に新たな視点を取り入れることができるんです。多角的な視点を、とか視野を広げるために、とかよく聞くので、なんだか薄い内容のように聞こえちゃうのが少し残念です。

それでも私は声を大にして言いたい。
多様性の理解とか、協調性を高めるとか、多角的な視点を身に付けるとか、どんな目的であってもグループでの活動に関していえば、まずは人の意見をよく聞くこと、そして受け入れることが重要です。

これは私の18年間の経験から自信をもって言えることです。

人の意見を聞き入れることで視野が広がるんです。視野は勝手には広がりません。自分の行動や経験によって広がるものです。手っ取り早い方法として本を読んだり、講演を聞いたり、他者の意見を聞き入れたりすることです。
「自分軸」で物事を考えているだけでは、広がる視野もなかなか広がらず、考えが凝り固まってしまいます。一般的にその凝り固まった考えは成長するにつれ、矯正するのが難しくなります。まだ他人の意見を聞き入れられる今だからこそ、柔軟な思考を身に付ける必要があると思うんですよね。

全て持論中の持論です!ソースは私の経験です。(笑)

是非みなさんも、私の考え方を知って、取り入れてみてください!これを読んでくk出さった方は、私の一部を理解したつもりでいてもらっても問題ないです!!

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!