avectoi17’s blog

関西の大学3年生!私の思惑ブログ。

私が今、一番やりたいこと

 

最近、これやりたい!!ってことが見つかった。

ここでは「機会創出プロジェクト」とでも呼ぼうか。

 

私は兵庫県姫路市で生まれ育ち、大学生になって大阪で一人暮らしを始め、コロナの恩恵を受けて東京へも頻繁に出向くようになった。

高校生の私はこんな未来を全く想像もしていなかった。

むしろ逆だ。

 

私は広島の大学への進学を希望していて、さらに地方へ行こうとしていた。

まあ不合格だったのでこうして大阪に出てきたのだけど。

 

何度考えても私の進学先の選択肢として「東京」が上がったことはなかった。

理由は特にないが挙げるとすると、東京は人の住むところじゃないと思っていたから。人込みは想像しただけで疲れるし、行ったことなかったから心無い人がいっぱいで、とにかくみんな、自分のことで精いっぱいなんだろうな、せかせかした世界なんだろうなって勝手に想像して。それから私の周りも関西に留まる進路を考えてる人が大半だったからそもそも選択肢に含んだことはなかった。

 

京都には住みたかったから今の大学も出願したのだけれど、合格通知をもらってよくよく調べてみると私の志望した学部のキャンパスは大阪にあった。笑

 

そんなわけで、第二の都市、大阪での生活がスタートした。

コロナのおかげでオンライン化が進み、私が進学するころにはみんな、その生活が慣れてきた頃だった。

だからこそ、東京のコミュニティに所属することを決め、コロナが収まりつつある中も活動し続けている。

 

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大学生になるまで、東京・大阪に興味もなかったし、人が多いんだろうなってイメージしかなくて。

大阪って選択肢は敢えて選んでいなかったけど、東京って選択肢は、そもそも眼中になかった。私の高校から東京の大学に進学する人が本当にひとつまみ程度で、なんで東京がいいんだろうって疑問だった。

 

そんな私が、大学生になって地方から大阪・東京に出てきて、気が付いたことがある。

 

「地域における情報・機会の格差」

 

地方にいたころは感じたことのなかった…都会に出てきたからこそ認識できた格差

 

私は気づいてしまったからには気づいた張本人として、それを変える責任があると強く思った。

 

都会にいたら気が付かないだろう。またずっと地方にいたら気が付かなかっただろう。

そんな不平等に気が付いてしまった。

 

 

高校生までの期間で受けた情報や機会、出会った人や得た経験はこれからの人生における大きな要素となるし、これからの人生を決めていく選択肢の幅を決める

 

 

それが、地方だからという理由だけで、選択の幅が狭まってしまうのは不平等だ。

理解はできる。人の多い都会で情報を発信した方がより効率的に情報の受け取り手を増やすことができるし、設けた機会への参加者をより多く、効率的に集められる。

 

ただその資本主義的な考え方によって、置いていかれる人たちが存在するということに目を向けることは大切な視点だと思う。

 

悲しいことに、

・都会で生まれ育って、これからも都会で生きる人

・地方で生まれ育って、これからも地方で生きる人

にはなかなか持つことが難しい感覚なのではないかと思う。

 

たまたま私は

・地方で生まれ育って、都会に出てきた人

になったからこそ、この格差・不平等に気が付いた。知れた。

 

無視して通り過ぎることのできないほどの不条理を感じた。

 

だからこそ、私はこの状況を変えていく責任があると思った。

 

 

高校生の時にこの格差に気づけていたら、私は東京に出ていたのかななんて想像する。

 

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幸いにも、今の時代は「オンライン」が当たり前の日常がある。

 

私は「オンライン」を使って、

全国の高校性を集めた、なにか…

を実現するべく、計画している。

 

その「なにか」をうまく表現し、実現できるよう、私の1年を使って全力で取り組む。

 

久々にワクワクしてる。

国際協力にはずっと携わりたいと思っていたけど、そもそも日本国内にも多くの問題があるのに放置していてもいいの?とも思っていた。

その両方が重なるところが見つかった。

私のやりたいこと、実現したいことが定まった瞬間だった。

 

どうしよう、ワクワクする…

 

「選択肢の幅を広げる」

そんな活動をしたい。

 

何様だ、なんて言わせない。だって気が付いてしまったんだから。

見過ごすわけにはいかない。

 

 

周りのみんなをフル活用して、向き合っていこうと思う。

私の1年を懸けて。

YouTube -One Voice Children's choir

 

私の好きなYouTubeチャンネルを紹介します!

 

One Voice Children's choir

 

アメリカの有志で集まった子供たちのChoirで、

彼女らを束ねて率いてるのが、日本人のマサさんなんです!!

好きすぎてマサさんの本買った…笑

 

福田真史(通称:Masa)さんは子どもたちの個性を大切にしていて、それが初見でも伝わってくるのがすごいところ。そして、本には全体練習は「週に1回、2時間程度」で行っているとあり、これまた驚きポイント。

多忙な子どもたちが集まれるのはそのくらいらしい。

しかし、その週に1回の2時間の練習をどう行うか、その他の練習をどうするのか、というところを試行錯誤されてきたそう。

パートの練習は個人で(ガイドをMasaさんが作って子どもたちに配布→自主練)

それから全体練習ではより表現に磨きをかけるような指導をしているんだって!

 

「個性の違う子供たちが自由に歌っても、美しいハーモニーになるようにする、それがディレクターの腕の見せどころ」って…かっこいい~~!!!

興味があったら読んでみてください!普通に学びになったし、彼の考え方とか価値観にめちゃくちゃ共感した。

 

『君だけの声を聴かせて』ー福田真史

 

 

とにかく選曲は神だし、アレンジは天才すぎるし、子どもたちの声も演出も全部が最高!!

うろ覚えだけど…1曲につき8パートとか全然余裕であるらしくて、そのアレンジは作曲家?編曲家?アメリカで音楽の学位を取ってるMasaさんの手によって行われてるとか???

とにかく子どもたちの個性を引き出すのが上手すぎるMasaさん。

とりま、聴いてみて。私の言いたいことわかるはずだから…!

 

 

ーOne Voiceとの出会いー

 

はじめましてをした動画がこれ▼

youtu.be

 

高校生の授業で歌ってた、”True Colors” にめちゃくちゃ励まされてたときにこの曲を検索してたらOne Voiceがおすすめにあがってきたんです!!(これ高校生の時)

 

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みてみると、Symphony歌ってるやん!天才なにこれ!ってなって、(これも高校生の時)

www.youtube.com

 

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コロナで高2の学年末テストがなくなって、3月、4月、5月と休校が続き、あああああああああ受験生なのに~~~~何もしてない~~~やばい~~~~っていう日々のストレスが溜まりに溜まっていた矢先、8月にリリースされたのがこれ!▼

www.youtube.com

Good Job by Alicia Keys

 

選曲がね、間違いないんよ…

Good Jobに関しては本当にタイミングと歌詞がすごい。

 

そもそもこの楽曲自体、Alicia Keysはお母さんに向けたGood Job って意味合いで作ってたやつらしいんだけど、コロナ禍でみんなが辛い、苦しいって暗い方向へ気持ちが向いてしまっている状況でリリースされたやつなのね。

 

 

Good Job

You're doin' a good job, good job

You're doin' a good job

Don't get too down

The world needs you now

Know that you matter, matter, matter

 

When it feel like the end of the world

You don't let go

You just press forward

 

From bottom to the top, the listeners that hear us

This is for you, you make me fearless

 

この歌詞に心打たれて、さらに綺麗な子どもたちの歌声で心が浄化されて、本当に初めて聞いたときは泣いた。冗談抜きで。

 

すーごく気分が落ち込んでた時だったから、

ただただGood Jobって言われ続けるだけで泣けたし、

英語のYouって本当に自分のこと指されてる感覚になるから物凄くすきで、

めちゃくちゃに沁みてた…

 

今でもはあああってときはこれ聴きに戻ってきてしまうほど大好きなMV…

もう2年も経つんか。

 

 

 

オバマ元大統領にも披露してるし、

AGTにもでてて、Let It Go してた!

んで、Let It Go のMVで大ヒットして…っていう。多分そんな感じ?

 

入団に10倍以上のテストがあるらしいんだけど、

それだけ多くの人が共感して、いいって思ってるって証拠だよね。

すごいよね、本当に。

 

人間の出せる表現力を最大限に引き出してるなっていう。

本当に元気が出るのでおすすめです!!!!!!

 

花 そんな人として

 

『その人ひとりが

この世界のすべてだったころがありました』

 

『その人ひとりで世界がいっぱいに埋め尽くされ

世界が温かく』

 

『その人ひとりで

世界が輝いていたころがありました』

 

『その人ひとりで雨風吹き荒れる日も

怖くなかったころがありました』

 

『ぼくもときにはその人に、そんな人として

思い出されたいと思います』

 

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私にとってこの『その人』とはまさに「あなた」だった。

 

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今はそんなことなくて、私の世界にはもっと他の人がたくさん介入してきてくれてる。

私には支えてくれる人も、応援してくれる人も、仲良くしてくれる人もたくさんいる。

 

 

だから大丈夫なのか、というとそうではないらしく。

 

「あなた」はやっぱり特別で、前ほど特別じゃなくなったけど、

でも色々を差し引いたとしてもどうしても「あなた」は特別な存在。

 

 

 

「あなた」がこの世界のすべてで、「あなた」で埋め尽くされた世界は温かくて、

「あなた」で世界が輝いてて、「あなた」がいたから辛いときも苦しいときも

なんだか大丈夫な気がした。そんなときがあった。

 

「あなた」からして私の存在はどんなだったんだろう。

そんな無駄な思考を凝らしてしまうな。

 

 

 

たまには「あなた」も私のことをそんな人として思い出してほしいな。

 

そんな私のちからの及ばないことを考えながら今日もがんばる。

想定外だったっぽい

 

 

 

-「あなた」のことはこの先、何があっても嫌いになることはないだろうし、縁が切れるなんてこともないと思う。―

 

 

私は何度もこう伝えていたのに。

 

 

 

「あなた」が撮ってくれた写真は、とてもとても嬉しかった。楽しかった思い出が鮮明に蘇るから。あんな話やこんな話して笑ったな、けんかしたなって。私が撮ってない分、す~っごく有難かった。

 

「あなた」が作ってくれた思い出は、本当にいつも色とりどりで、色んな感情で溢れてて、大切な記憶として残ってて、思い出すたびに心が満ちてくのね。

 

「あなた」が応えてくれることはないと分かっていながらもそんな「あなた」に気持ちを傾け続けた経験には全く後悔していないし、むしろ受け入れ続けてくれてありがとうって思う。

だから私が私らしくいられた。何も隠してない、私そのものだったから。

 

 

 

「あなた」の前では私はまるでグリンゴッツ銀行のあの、かけられた魔法が全部とれる滝水に流されたあとみたいに、すべての偽りを解いた私そのものだったんよ笑

 

 

「あなた」が呑気だったおかげで一緒にいるときはマイナスな気持ちなんて一つもなくって。

苦しむのは私だけで十分だったし、結果的に「あなた」をも苦しめてしまったこと、それを分かっていながらもその時その時の感情を優性してしまったことを悔やんでる。ただその時が嬉しかったのなら、楽しかったのなら、幸せだったのなら、私はそれでいいと思ってた。いや今もそう思っている。

 

私は苦しんでいたけれど、それは全部「あなた」のせいだった、なんて言えないくらいに私は自分勝手だったから。「あなた」はただただその不器用なやさしさを私に向けてくれただけだからさ、悪くないよきっと。

 

 

私がブログを始めたのを知ってから、投稿するたびに必ず目を通してくれて、その内容について話してくれたりさ、突如として一気読みしたり、そろそろ投稿せんの~?って気にしてくれたり。

「あなた」の「あなた」なりの表向きの応援方法なのかと思っていたらちゃんと、私の書く文章を好きでいてくれたんだって知って、とっても嬉しかった。

 

「あなた」が読んでくれてるのを知ってたからちゃんと書こうって思えてた。

そんな風に読んでくれていたんだってびっくりしちゃった。

 

 

『「あなた」のおかげで私は自分の選択を悔いることなく前を向けています。』

 

これは前も今もずっとそうだよ。

「誰かの人生の一部になりたい」その思いが強いってところ、私たちの共通点なんだと思う。「あなた」は全力で私の人生に介入してくるんだからさ、お互いにそうなっていたのであれば、そういう存在になっていたのであれば後悔することは何もないよね。

 

 

私がこの先、色んな人と出会って、あなたから離れるときがくるかもしれない。あなたと連絡を取らなくなる未来がきっとそこにあると思う。

だけどこの先もずっと「あなた」は私の中でかけがえのない人で、本当に特別な存在なのは変わらない気がする。

 

だってこんなにも多くのことを共有して、多くのことを学ばせてくれた人だから。

 

 

覚えててほしい。

「あなた」は私にとってそれだけ大きな存在で、私の人生に物凄く大きな影響をもたらした人物だということを。

そして今のこの、大学生時代での奇跡的な出会いのおかげで私の人生は大きく転換した。「あなた」のおかげで今の私がいる。

 

確かに最終決定をし続けているのは私だけど、その過程でたくさんのヒントをくれて、たくさんのサポートをしてくれた「あなた」の存在はその選択に欠かせない要素だったのだから。

 

本当に感謝してるよ~!

結局まとまらなかったや…笑
もう少し書こうかな~

いま、幸せ?

私は今、幸せ。

大学に行くとちゃーんと友達がいて、zoomを開くと信頼できるみんながいて、相談できる相手がいーっぱいいて、だめなことはだめってはっきり言ってくれる人がたくさんいてさ、2か月お休みしたバイト先でも爆笑できるくらいに普通に過ごしてるもん。(笑)

 

4月から働いているバイト先で、「私に会いに来た」ってお店に来てくれるお客さんがいるのね。本当に嬉しいことでさ!バイト3日目ですって日にいらっしゃったお客さんがさ、「あのとき、楽しいって言ってた子、まだ続けてるかなって様子見に来たねん!」って。沢山お話して、たくさんお酒いただいて、また来るねって言ってくれた。

 

嬉しいね…あなた見てると元気になる、なんて言われた。幸せ。

 

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どっかしらで

「寂しいは贅沢なんだ。」

って文字列をみた。

なんか、すんって私の中で腑に落ちたのね。

 

空腹を感じたら何かを入れて満たさないと!って衝動に駆られるかもしれないけど、実はそんなことなくて、空腹の時間を作ることが大事なんだよって。(なんかのダイエット関連で見た)

 

それと同じことなんかなぁって思った。

 

寂しいからその寂しさを埋める何かを探すんじゃなくて、たまにはその寂しさを楽しむ、でもいいんじゃないかって思えるようになった。

寂しいからこそ、一人で静かに過ごすのも良いなって。

 

私は家族に干渉されたくないから一人暮らしをしたいって主張した。

一人暮らしを始めるとやっぱり寂しいって気持ちが出てきた。

でも実はその寂しさって私が望んでいたものであって、それを求めて一人暮らしをし始めたんだって思い出した。「誰かの介入のない生活=寂しい」と定義づけてしまうのがそもそも問題。

 

今のこの寂しい感じってなかなか味わうことができないと思うんよね。

今しかないこの感覚、大事にしていきたい。

私は私のままでよくてさー!

「あなた」はもしかしたらこれらを読んでいるのかなぁって想像する。

だってパソコンのデスクトップにショートカット入れちゃってるくらいに私のファンなんだから笑

 

「あなた」に届け!って思って書いてるわけじゃなく、冷静に自分を分析した結果ね、落ち着いて文に起こしてみただけなのね。

 

私は「あなた」には嘘をつかなくなった。強がることも減った。

「あなた」の前ではただただ素直な私がいただけだった。

それがいいものでも悪いものでも関係なく、あんなに感情全部出して、思ってること全部言って、嘘が下手な私が嘘をつく理由がなかったし、何かを取り繕う理由もなかった。

 

その時の感情は全部全部伝えてたし、

今日あったことも嬉しかったことも辛かったことも

全部全部伝えてたのね、私は。

 

これまで伝えてきたことをまとめてみただけだからさ!「あなた」がこれを読んだら私が「あなた」に向けて書いた手紙を思い出すんだろうなぁって思う笑

 

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周りの声を聞かず、「あなた」に全力だった私はね

ほーんとに馬鹿だなぁって思うのね。

あーー馬鹿だったなぁって。

時間の無駄だとかそんな風には思わんけどさ、なんか悲しい…

 

それもぜーんぶわかっててそうしてたんだから本当に馬鹿なのよ笑

 

晴香が辛い方を選ばないで!

晴香がそうするってことは私が悲しむってことだよ!

って、いかに仲の深い友達に言われようとも聞き入れなかったんだもん私。

それを振り切り続けてたんだもんね私は。あほだねぇ笑

 

何人の人を傷つけたのか、想像するだけで私の信頼度ががくーんと下がるのを感じるんだけどさ、でもそんなマイナスを負ってでも自分の意思を尊重したかった今までの私は、ほーんとに救いようのない自分勝手なんだけどさ、でもそれも私なんだよなぁ…

 

周りが見えなくなるくらい自分勝手で、裏を返せば自分の意思を貫いてたんだけどさ(言いように言い過ぎかも)馬鹿げたことに全力になっちゃう自分も私の一部なんだよ…

 

「それもそれで大切な晴香だから自分を責めないでね」って。

そう言ってくれた友達がいる。

あー、私は私のままでいいんだって。

確かに改めないとだめなところも、ちゃんとストップをかけられるようにならないとだめなところもあるんだろうけどさ、今の私が1番そのままの私なんだよなぁって。

 

周りの目とか誰かにこう思われるとかそんなん全部振り切って、自分がいいならそれでいいやって、

そう思ってた私も私なんだよ。

 

「晴香は、周りに何と言われても最後は自分で決められるだろうから。」って。

そう言ってくれた友達もいる。

それもきっと私の中の私なんだよなぁって。

 

馬鹿タレで愚かな私も私なんだよ…

それを責めるとか悔いるとかそんなことせずにさ、

これが私なんだー!って受け入れてさ、

私は私のままでいいやー!って思えるようになったからさ、(開き直るなって声は一旦シャットダウンするね)

このままでいいんだ!って思えた。

 

なんかすって軽くなった。

 

誰かに迷惑をかけるのも傷つけるのも良くないんだけどさ、

でもだからって自分を殺しきるのはいやでさ、

もっとみんな自分勝手でもいいんじゃないかって思うのね。(自分には非はないスタイル)

 

自分の人生だし、自分が好きなように選んで生きるし、

自分がしたいことを自分がしたいようにするべきなんだよな。

ただね、第三者目線を忘れないこと。それが大事だと思う。あまりにも自己中心的になりすぎるのは嫌いになっちゃうからさ。

それはそれで後悔すりゃーいいんだって思うしさ。

なんか、難しいけど、私は私のままでいっかって思えるようになった。

 

成長できた!ありがとう!!

安心感を手放したくなかった。

 

私は大学生になってから大阪の大学生なのに東京のコミュニティにどっぷり浸かったおかげで、自身の大学に友達が少ない。(笑)

 

そしてその浸かった先の友達はまあもちろん、関東に住むみんなだからなかなか会うことができない。

私だって普段の活動、授業終わりに行きたいし、対面活動のあとの飲み会にも行きたいし、新歓で入ってきてくれた1年生とは一番に会って話したかった。

私だって簡単にみんなに会えて、時間をまたいで一緒にいて、みんなのバイト先に遊びに行って、授業でばったり…なんてこともしたかった。

 

大阪でも東京でもなかなか自分という自分を発揮できるところはなくて、というか好きな自分を見つけられなくて、どこにいても自分がここにいないみたいな感覚で、自分の居場所がずっとないって感じ。(最大限の逃げ文句。言い訳。)

 

そんなことないよって言ってくれる人はたくさんいるんだ。

ありがたいな。

でも、私はなんだか焦ってて、信頼できる人がいないことの焦りというか、どこに行っても取り繕っている自分がいて、それが当たり前なのがしんどいし、ん~自分でさえ自分のことを見つけられてないっていうか、自分でさえ隠れた自分を探し続けてて、見つける自分は「嫌いな自分」ばかりで。

 

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でもね、そのコミュニティに所属し始めたイレギュラーな私をめちゃくちゃ気にかけてくれたのが「あなた」で。

最初からこうなることを分かってて私はそこに飛び込むことに決めたんだけど、それも全部分かったうえでたくさんサポートしてくれた。

その存在がどうしてもありがたくてさ。

 

「あなた」とはたくさん話したよね。

ほんとに大学の話はもちろん、小学生、中学生、高校生の時の話もしたし、

バイトの話とか今日あったこととか、今日のごはんとか。

考え方や価値観、人生観とかの話もした。

ずーっと電話繋いでくれて、無言でも全然良くて、それでも気まずいとかなくて、

話したいときに話したいことを話す、そんな時間を一緒にしたもんだから、

本当に一緒にいて心地よくてさ。

 

びっくりすることに「あなた」には何でも言えた。

本当に何でも聞いてくれるから。

 

私がブログを始めた、というのを知ってからずっと

パソコンのデスクトップにショートカット入れちゃうくらいに

人のことを応援するのが大好きな人なんだよね。

急にアクセス数増えたと思ったら一気読みしてくれたりね。(笑)

 

私のことを本当によく知ってくれてるから、その安心感を手放すのが惜しかった。

こんな大きな安心をくれたのは「あなた」が初めてだったからさ。

 

依存体質なのは自覚していたからさ、あーーーだめだめって自制してたのね。

依存しちゃだめなのは知ってたから。最初から分かってた。

一緒にいる時間が長すぎた。共有してる時間が長すぎた。

気が付いたときにはもう遅かった。

 

この居心地の良さ、安定感、そして大きな安心感。

それらを手放したくなくなっていた。

離れたらこのすべての平穏要素がなくなってしまうことへの不安が大きかった。

 

だらだらと甘えてしまった。

でも大丈夫、今の私にはほかに安心をくれる人がいるんだから。

「あなた」しかいないと、そう勘違いしてから盲目になってしまっていたけど、

そんな勘違いとはお別れしよう。

今ある、「あなた」が与え続けてくれた安心感を手放す勇気を出してさ、

少しずつ手放していこう??