avectoi17’s blog

関西の大学3年生!私の思惑ブログ。

私とあの子

私には大学で唯一、ちゃんと自信をもって友達と言える人がいる。何でも話せるし、一緒に過ごすことを全く苦に思わない。一緒に履修を組むけどいつも私が助けられてばかり。ご飯食べに行くってなってもどこ行くどこ行くーってうろちょろ。あれしよーいいやんって言って実現しちゃう。彼女の作る創作料理はとっても美味しいし、ほんとになんでもできて、とってもとっても素敵な子。学ぶことが多い。

 

さてさて、共通の先輩から「ほんまにこの二人、仲いいな」って言われた。私もその子も、「仲いい??」ってとこに引っかかってたの、おもしろい笑

確かに不仲ではないのは間違いない。何も気にせずお泊りできるし、お話しできるしゆるりゆるりと過ごせる。でも、親友!!って感じでもない気もする…だってたぶん、私たち二人は卒業したら次会うのがどちらかの結婚式なんじゃないかなってお互いが思うくらいに、今後の関係性は安定して自分たちが心地いいくらいを保ってると予想。そういう思考の結果、2人そろって仲がいいって何??ってなってた笑

 

彼女が出した答えは、「良くも悪くも期待してないから楽なんじゃないか」と。

たしかに、私が1限に行かなくても別に本当に気にしてない様子だし、遊ぶ約束が直前に失くなっても断られた側もおっけまたいこーって感じだし、「全然いいよ」がほんとに言葉通り受け取れる相手って思ってるから、なんかすごいとっても楽なんだと思う。

 

「ほとんどの人間関係で期待が引き起こす失望感のことを、私は『期待の反作用』と呼んでいる。こちらがよくしてあげれば、相手も良くしてくれるだろう自分が好意を示せば、相手も少しは耳を傾けてくれるだろう。わたしがこれだけしてあげたのだから、相手もこれくらいはやってくれるだろう。そんな期待は必ず失望感に繋がるものだ。それでは結局、自分が疲れてしまうだけだ。

 

他人に親切を施すときは、期待の反作用を計算に入れて、期待値を下げるといい。その小さな期待のせいで傷ついたり、人間関係に憶病になったりすることもあるからだ。最も重要なことは、なにかを望まず、ただ与えること。ただ施すこと。

 

それが自分を幸せにする、いちばんの近道だ。」

 

こんな本の1節を見つけた。今の私が考えていることにどんぴしゃすぎて、驚いた。

1回目読んだときは何とも思わなかったのに、今はとてつもなく共感する。

 

人に期待しないこと。期待しないというか、自分が親切を施す際には期待値を下げた状態を保ちたい。してあげたから何か返ってくるかと言えばそうじゃないことが殆どだ。その理由は様々だと思うけれど、捉え方も人それぞれで、親切心の表し方もそれぞれだから、絶対仕方のないこと。きっと返ってこない、そもそも見返りを求めているわけではないけれど、心のどこかでそれを待っている自分もたまにいる。心の持ち方をもうちょっと変えてみたら、もっと人付き合いがうまくいく気がする。

 

一つのモデルケースとして今回は、私とあの子との関係性について考えてみたけれど、これを全員と、とまではいかないが、自分の心地よさを探ることのできるくらい余裕をもって生きていきたいと思った。

 

周囲の評価に振り回されない

 

「見過ごしてはいけないのは、人は自分が知っている部分しか見ないということ。あなたが頭の中に描いた絵を、他人が完璧に把握するのは、ほとんど不可能だ。だから私たちは、他人の言葉を聞き流す方法も知らなくてはいけない。」

 

ドギョムが深夜本屋で紹介していたエッセイのひとつ。

ドギョムは他人の言葉をすごく気にするんです、だから僕もそう言う人になりたいって引用してた。

 

私も実はとっても周りからの見え方とか評価とか気にしてしまう。意見は言えるんだけど、私の後に続いて、反対の意見を言う人がいたらとてもとてもどきどきしてしまう。なんだか直前に言った私の意見が完全否定された感覚になる、というかそれ以上に人格否定されたように感じてしまうことさえある。

 

それに今日、この言葉が沁みる~ってなるようなことがあった。

私は結構、所属する団体の中では全体を俯瞰してみることが多い立ち位置だったからこそ、色々な要素を考慮して発言していたり、色々な事情を知っているからこそこういう状態になっているって知っていたり、自分としてはそこは改善したかったんだけど私一人じゃどうにもできなくてーってことだったりがある。私が色々な立場を経験してきたからこそ、裏側もあらゆる方面の事情も知っていて、それらのすべての結果がそうなってるっていうのも知っている。

他の人たちからの意見を回収しているときに、ここが改善点だと思うって言われたとき、なんだかすべてに反論したくなっている自分に気が付いて、でもこれはみんなは知らないことだもんね、仕方ない、って必死に自分を和ませた。

 

私が知っていても、周りの人が知らないんだったらそりゃ仕方ないこと。

私は知ったうえで発言しているのかもしれないけど、それをそもそも知らない人からしたら持つ当たり前の意見であって、全然私が気にするところではなくて、これから知っている側の人間としてそれを伝えていけばいいだけのこと。

それだけのことなのに、めちゃくちゃ引っかかってしまった。

 

「他人の言葉を聞き流す方法も知らなくてはいけない。」

正にその通りだ。全部を気にしていたら人生が何個あっても足りない。

 

もう少し、他人事として聞いててもいいのになって自分に対して思うことがある。

 

 

 

意外と私って責任感が強くて、だからこそ自分で自分の首を絞めてしまうこともたくさんある。と思っている。(逃げかなぁ)

その団体の中で、何かしらの問題が起こる。最初の時点で私がもっと注意深く見ておくべきだったのかもしれない、途中でその可能性があることに気が付いた時点で私が誰かに言っておくべきだったのかもしれない、あの時私が懸念点を伝えておけばよかったのかもしれない、など何かしらの形で自分に非があったように感じてしまう。いや、あったのかもしれない。あったのかもしれないけど、どうしてもぐるぐると回った結果、私があの時こうしてたら…と思ってしまう癖がとてもある。この思考回路の癖には最近ようやく気が付いたんだけど、やめたくてもなかなかやめられなくて、勝手に申し訳なくなってる。

 

他人のことに干渉しすぎるからなのか、なんなのか。

わからんけど、もうちょっと他人ごとって枠組みにぶち込んでもいい気がするんだ。自分が苦しいんだからそろそろ変えてけよって思ってる。

もうちょっと強く生きてみることにする。

 

ドギョムも言ってたもん、

「すべての言葉を機にして過ごしてたら、すごく疲れちゃうじゃないですか。自分自身がすごく疲れる道には(ファンにも)進んでいただきたくないです。」って。!!!!

 

他人の言葉を聞き流す方法も、探してみよう。自己防衛のためにも。

ありがとうとごめん

私の周りには「ありがとう!!」ってたくさん言える人がいる。

ありがとう!って言われたら、そんなお礼言われるほどのことじゃないのに…って最初は思ってたけど、今ではいえいえ!って素直に受け取れるようになった。お礼の言葉ってなんでこんなに気持ちを明るくしてくれるんだろうって思うな…

 

私はつい「ありがとう」のハードルを自分の中で上げてしまっていた。さっきの「お礼言われるほどのことじゃないのに…」と同様に「お礼言うほどでもないか…」みたいな切り捨て方をして、なかなか他の人に対して素直にお礼を言うてことができなかった。できて当たり前だと思っていた節があるからだと思う。恥ずかしながら本当に稚拙な考えから、「ありがとう」を発することができないでいた。それには気が付いていたがなかなか抜け出せずで大学生になってしまった。

2年生とかそのくらいになった時に、私の周りにはたくさんの「ありがとう」を言える人がいることに気が付いた。それを見習って私も「ありがとう」を言うことをたくさん心掛けたら前よりも自分発信の「ありがとう」が増えた気がする。まだまだああ、言い損ねてしまったな…ってときはあるけれど…

 

「ありがとう」と同じくらい、私は「ごめん」が言えない人間だった。なんか負けた気がしてしまうから。負けず嫌いで自分の非を認めたくないがちな性格から、どうしても「ごめん」を言うのが苦手だった。(幼稚だ~~)

でも「ごめん」が言えない大人がたくさんいることに気が付いて、反面教師…言えるようにならないと人生で自分に恥かくわ…って思うようになってから、意識的に「ごめん」を言うようになった。まあこちらもまだ練習中でなかなかうまく発せないときはあるが、前よりはましになった気がする。

 

 

 

覚えてますか??あなたも同じでした。

私と同じく、あなたは「ありがとう」と「ごめん」をなかなか言うことができない人でした。

たぶんきっと、あなたの中でも、その二つの言葉のハードルを上げていたのだと思います。自分ができることが多いから周りがそれをやっていて当たり前だと、あるいはお礼を言うまでもないなと、おそらく心のどこかでそう思っていたはずです。あなただけでなく私もそうでしたから気持ちはすごくわかります。自分に非はないからと、うまいこと自分の中で納得感のある言い訳を考えて論理でなんとかしようと、そして何とかなってきたのでしょう。あなたは頭がいいから周りも自分も納得させてきたのだと思います。

1回年下ながらに私はあなたに対して諭したことを記憶しています。

 

せっかく素敵なあなたが、ありがとうとごめんねを言えないのはもったいないと思うって。

 

そこから多分あなたも意識的に変えてくれた気がします。今ではお互いに些細なことでもお礼を言いあえる容易になって、まずはごめんねって言えるようになったと思います。良い関係性を続けていくにはマストアイテムでしたね。

 

私があなたにもたらした大きな影響だったのではないかと思うのです。おこがましいけれど、あなたの意識を少しくらいは変えられたのではないかと、そう思っています。あなたは気づいているでしょうか。

 

 

 

「ありがとう」と「ごめんね」が言える人は、まずまず人として素晴らしいと思う。

ともだち曰く…

ともだち曰く、恋人は「自分を成長させてくれる人・新しい世界を教えてくれる人」らしい。

これ聞いて、恋人のハードルめっちゃ下がった気がした。

 

恋人がいたからこの人と知り合えたし、あそこに行けたし、こんな経験ができたし、こんな趣味ができたし、こんなこともできるようになったしってなるらしい。確かに。しらんけど。

 

「自分」をレベルアップできるんだってさ。

 

妙に納得してしまった…その子は元カノが髪の毛の乾かし方を教えてくれたから、次の彼女にそうしてあげることができたって。なんか切ないけどなんか素敵だった。

そう思うと、ほんと、どんな人とお付き合いしても色々学べるはずだから、恋人って存在がいることで自分も変われるんだってことがわかったし、それならもっと恋人って存在を見つけたいなと思ってしまった。私の友達は色々学ばせてくれる人ばっかだわ。感服。

 

山ほどあって

あなたに伝えたいことは本当にたくさんで、何度伝えたって伝えきれなくて、じゃあ伝えきれるまで一緒にいたいと思ってしまうから、もっと自分が嫌になる。

 

ほら、こうやってあなたは私にとって凶器になっていく。そうしたいと思ってもいないのに。

 

ーーーーー

 

まず、出会ってからここまで、私を受容してくれて、ずっと近くで面倒を見てくれてありがとう。あなたが私の一番の仲間で、一番の味方で、一番の理解者だったから、私はここまで頑張ってこれたと思ってる。ずっと一番近くで私のことを見守り続けてくれて、何度も助けられたことはこの先何があっても、忘れることはないんじゃないかなと思う。あなたの存在がどれだけ私を心強くさせたか、辛い思いを軽減してくれたか、喜びを増幅してくれたか、誰も想像できないでしょうって思うくらいに、そのくらいあなたがいてくれたから多くのことを経験できたのだと思う。そして、何度も何度も人間関係が壊れそうになったけれど、そのたびに電話越しに何時間も向き合ってくれて、お互いが納得するまで話すことができたのは、あなたの忍耐があったからこそだと思う。こう思っていたからこうしてた、ここが気に食わなかった、って散々言い合って、これは悪かったごめんってできて、また気づけば元通りだった。そんなことを何度か繰り返して、もっと強固な人間関係ができてしまったなと、その時の最上級の感情を懐かしく思う。私の性格はとっても面倒だから、本当にたくさん苦労かけたんだろうなと想像すると、本当によくもここまで付き合ってくれていたなと思う。

 

ああ、もちろん物凄く変わりものなあなたの相手をしていた私もとても苦労はしていたけどね??笑

 

ここまでのに尽きるのかな…もっとたくさん伝えたいことはあるはずなのに、いざというときに出てこないよね。

 

ことばを選ばずに、我儘を言うと、私はもっとあなたとの時間を愛する時間が欲しかったなと思う。感謝を伝えるには足りなさすぎるし、私のありったけの思いを全部表現するにももっと時間が必要だったなと。これから私たちの関係性がどのくらい変わっていくのかわからないけど、私が連絡しなかったらきっと連絡は来ないだろうし、私が会いたいと言わなかったらきっと会うことはないんだろうなって。そう思うと、私が追ってばかりだったのかなってなってとても悲しくなるから、もう考えないようにしたい。私の頭の中からあなたを追い出してやりたい。あまりにもあなたが占める割合が大きいから。

 

あなたから会いたいって連絡が来たらいいのにって祈ってる。祈りって、別に相手に届かなくてもいいやっていう願いらしい。だから祈ってる。これからは私はあなたに関する願いは、祈りにしかならないんだなって。悲しいし寂しいし、喪失感が大きい。

 

あなたはどう思ってるんだろう。そんな無駄な考えも捨ててしまいたいのに。

きっともう、これも読みには来てくれなくないんだろうなって。

矛盾と葛藤

 

矛盾は愛ゆえに

「私を傷つけるあなたが私の痛み止めでもあったんだ」

 

あなたが私にしてきてくれたことは、ある意味で私を傷つけ、ある意味で私を癒してくれた。だからこそ、私はあなたから離れたくなかったし、あなたを手放したくなかったってことにようやく気づけたのかもしれない。

 

あなたは言った、「『別の人生』で支え合ってきたからうまくいっていた。『同じ人生』になった途端きっとうまくいかなかっただろう。」と。私はそれに対してまだ頷けずにいる。『別の人生』で支え合うことと、『同じ人生』で支え合うこと、の差異があまりよくわからないからだ。そういうならいっそのこと、『同じ人生』を経験して見たかった。どのくらいうまくいかないものか、身をもって知って、それでやっと離れられる気がする。その可能性を残してしまったから、『同じ人生』だったらどうだったんだろうって考える余地を残してしまったから、今もまだなかなか顔を上げられないのは事実で。

 

でもあなたは言う、「『同じ人生』をやってないからわからないけど、もしそれでうまくいかなかったら人間関係がうまくいってなかったでしょ。『別の人生』で支えるってことさえもできなくなるのは惜しかった。だからずっと避けてきた。」と。私はまたしても素直に頷けずにいる。なんて都合のいい奴なんだ、とさえ思った。私はあなたとのこれまでの関係性を振り返ったけれど、『同じ人生』なんじゃないかって錯覚するほどに『別の人生』って枠組みを超えてきてるあなたの存在に気が付いた。

 

 

本当に『別の人生』とか『同じ人生』とか、うまく区別して考えられていたの??

 

 

頭がいいから、都合よく言葉巧みに騙されるんだよなって。でも分かってても騙されていいやって思えるまでの人だからなんでもいい。

 

人間関係としてうまくいっていた相手と、恋愛関係としてうまくいかない理由が私にはよくわからないけど、そんなこと言ってたって全部無意味だからとっととこんな疑問は捨て去りたいもの。

 

私は愛とか恋とかそんなのはなんにもわからない。

恋の好きじゃなくて、愛の好きで、大切って意味でって言われた。全然わからなかった。

分からないなりに考えてみたけど、まあとにかく愛だったのかって結論に至った。

あなたのために私にできることがあるならなんでもしたい、って思える人だった。私の真心を全部渡したいって思える人だった。

頼れることがあったらいくらでも頼ってほしいし、弱音なんてなんぼでも吐きにきてほしいし、頑張った!ってことがあるならたくさんお疲れ様って言いたいし、お祝い事があるなら一緒に喜びたい。

何でも話せてたくさん知ってくれてて、文字通りのよき理解者で、辛いときは励ましてくれるし、頑張った時は全力で褒めてくれるし、ほんとにほんとに大好きな人だった。

会う予定ができるととっても嬉しくて、その日をめがけて頑張れて、でもやっと会えたら何話したらいいのかわからなくて、とにかくなんか喋ってみるけどとんちんかんなことを言ってる時間でさえも楽しくて。

 

あなたは私にたくさんの幸せを教えてくれた人だった。

 

 

 

このままでいたい。でもこのままじゃだめ。

そんな葛藤に時間を費やしてしまっている。

このままでいたいのは、私の人生においてあなたを失うということがどれだけ大きなダメージになるのかを理解しているから。

でもこのままじゃだめなのは、私はずっと大切なあなたを自分を傷つける凶器と勘違いすることになるだろうから。

 

だから距離を置かないとと思ってる。

自分が傷つかないためにも、あなたを傷つけないためにも。

 

こう、自分の思いを馳せるだけでえぐられてる傷口もあって、あなたを思うととても辛い。あなたが大切すぎるから、あなたを大切に思う自分も大切にしたいから、だからとてもとても辛い。

 

 

あなたの愛と、私の愛とでは、違うかったみたい。

私は同じだと思っていたけど、あなたは違うと思っていた。

一緒に人生を進めていくっていうのはきっと叶わない未来な気がするな。

 

しらんけどな???

 

私にはとても大好きで大切で、ずっとずっと一緒にいたいって思う人がいたのね。

ほんとに大切な人で、この人のいない生活が考えられないくらいに毎日連絡とって、無意識的にその人の存在を感じ続けていたなって思う。その人の存在が当たり前すぎて、でもとっても有難い自覚はあって、本当に大切な人なんよね~~。笑

 

これが正しい好きなのかどうかはわからないけど、私なりの好きなんだって結論づけるところまではおわった。

 

その人には恋人がいて、それでも私は大好きで。

とあるツイートを見つけたのね。

「人への好きという気持ちが、たまに何なのか分からなくなるけれど、目玉焼きでもハンバーグでも綺麗に焼けた方をあげたくなる人、映画館でできるだけ真ん中や端っこの席を譲りたくなる人、美容院の帰りに会いたくなる人、まあるい月や綺麗な空を見た時に連絡したくなる人のことだと思っています。

金木製のにおいがし始めたら連絡したくなったり、手持ちの花火の火が長く続く方を渡してあげたいと思ったり、食べ物や服、映画や音楽を見たり聴いたりした時にあの人好きそうだな~と考えたり、このワンピースを着て会いたいと思う気持ちも、好きなんだろうな…と思う。」

 

これがまあ刺さってしまって!!

私はその人に対して似た感情をずっと持っていたことにちゃんと目を向け始めた。

 

もうまじでこれでさー笑

 

ツイートの意図とはちょっと違うとこもあるかもだけど、その人のことを大切に思ってるからこそできるだけいい思いをしてほしくて、できるだけ嫌な思いはさせたくなくて、もしあっても軽減してあげたくて、私にできることがあるなら全部してあげたいと思うし。

その人が辛い思いをしないように頑張って予防線張ろうとしちゃうし、寒がりだから飛行機に乗るときは長袖いる?って聞いちゃうし、大変そうにしてたら横にいて頑張れって言いたくなるし。

 

それに加えて、ほんとに私のよき理解者だからこそ心地よくて、安心できてさー、だからこそ特別枠を与えてあげたくなってしまったわけよ…

会えるって予定が決まったらその日を目標に頑張れるし、連絡を取り続けるっていうの、どれだけ仲のいい友達でさえなかなかできないくらいに継続的なLINEのやりとりって苦手なのにその人とは毎日他愛もないことでやりとりできちゃうし、バイトが終わって連絡来てたら喜んじゃうし、電話するたびに今日はいいことあったんかな~とか考えちゃうし。

嬉しいことがあったら一番に聞いてほしいって思うし、辛いことがあったらよく頑張ってるねって褒めてほしくなるし、おめでたいことがあったら一番に伝えて全力で喜んでほしいし、大変なことに向き合ってるときははるかならできる!って励ましてほしいし。

柄にもなく、あの私が、会えるって日にはめっちゃ洋服選んじゃうし、かわいいって思ってもらえるかなって髪の毛巻いてみたりいつもよりちゃんとメイクしたりしちゃうし、ああーやっと会える!って、好きなんだなって思いながら待ち合わせ場所に向かっちゃうんだもん。

 

私にとってその人は、本当にたくさんの経験をさせてくれた人で、考え方もいつも納得感がすごくて、たとえ話もすごいわかりやすくて、いつも笑いのツボを押さえてくる。とにかく人として尊敬してるところがたくさんなのね。

 

「誰かのために」って行動力がすごい人で、何でもできる人だから「誰かの満足度を上げる」能力が高い人なのね。それがその人の見栄が動機になっていたとしても、普通にすごいわってなるような、、、私だったら見栄のためだけにそこまでできないし、できる能力もないしねっていう。誰かのために能力を発揮することができる人すぎて、ほんとにすごいなって思うのね。

尊敬もしてるし憧れもあるし、全部委ねたくなるくらい彼のことを信じてる。たまに違うわーーって思うこともこいつなんやねんってなることもあるけど、嫌いになることはないんだろなーって思ってる。どれだけ憎くても、腹が立っても、人としてどうなん!!って思っても、全部許せるし、そんなことがあっても嫌い~ってなることはないんだろうなって。それだけ全力で信頼してる。

 

私のこともよくわかってくれてるからこそ、本当に居心地がいい。

そして何より、諦めず向き合おうとしてくれるってところが大好きで。

私がほんとに全部何でもかんでも思ってること言っちゃうから、やばい地雷踏んだってこと何回もあるんだけど、そのたびにもうしーらねってならずに(1回はなるけど)分かり合おうとしてくれるのね。あの時私はこう思ってたからこうだった、とかちゃんと言えるし、言ってくれるのね。

 

そんな人を失いかけている今、私の大学生生活最大のピンチ到来!って感じでやばい!!!!