avectoi17’s blog

関西の大学3年生!私の思惑ブログ。

周囲の評価に振り回されない

 

「見過ごしてはいけないのは、人は自分が知っている部分しか見ないということ。あなたが頭の中に描いた絵を、他人が完璧に把握するのは、ほとんど不可能だ。だから私たちは、他人の言葉を聞き流す方法も知らなくてはいけない。」

 

ドギョムが深夜本屋で紹介していたエッセイのひとつ。

ドギョムは他人の言葉をすごく気にするんです、だから僕もそう言う人になりたいって引用してた。

 

私も実はとっても周りからの見え方とか評価とか気にしてしまう。意見は言えるんだけど、私の後に続いて、反対の意見を言う人がいたらとてもとてもどきどきしてしまう。なんだか直前に言った私の意見が完全否定された感覚になる、というかそれ以上に人格否定されたように感じてしまうことさえある。

 

それに今日、この言葉が沁みる~ってなるようなことがあった。

私は結構、所属する団体の中では全体を俯瞰してみることが多い立ち位置だったからこそ、色々な要素を考慮して発言していたり、色々な事情を知っているからこそこういう状態になっているって知っていたり、自分としてはそこは改善したかったんだけど私一人じゃどうにもできなくてーってことだったりがある。私が色々な立場を経験してきたからこそ、裏側もあらゆる方面の事情も知っていて、それらのすべての結果がそうなってるっていうのも知っている。

他の人たちからの意見を回収しているときに、ここが改善点だと思うって言われたとき、なんだかすべてに反論したくなっている自分に気が付いて、でもこれはみんなは知らないことだもんね、仕方ない、って必死に自分を和ませた。

 

私が知っていても、周りの人が知らないんだったらそりゃ仕方ないこと。

私は知ったうえで発言しているのかもしれないけど、それをそもそも知らない人からしたら持つ当たり前の意見であって、全然私が気にするところではなくて、これから知っている側の人間としてそれを伝えていけばいいだけのこと。

それだけのことなのに、めちゃくちゃ引っかかってしまった。

 

「他人の言葉を聞き流す方法も知らなくてはいけない。」

正にその通りだ。全部を気にしていたら人生が何個あっても足りない。

 

もう少し、他人事として聞いててもいいのになって自分に対して思うことがある。

 

 

 

意外と私って責任感が強くて、だからこそ自分で自分の首を絞めてしまうこともたくさんある。と思っている。(逃げかなぁ)

その団体の中で、何かしらの問題が起こる。最初の時点で私がもっと注意深く見ておくべきだったのかもしれない、途中でその可能性があることに気が付いた時点で私が誰かに言っておくべきだったのかもしれない、あの時私が懸念点を伝えておけばよかったのかもしれない、など何かしらの形で自分に非があったように感じてしまう。いや、あったのかもしれない。あったのかもしれないけど、どうしてもぐるぐると回った結果、私があの時こうしてたら…と思ってしまう癖がとてもある。この思考回路の癖には最近ようやく気が付いたんだけど、やめたくてもなかなかやめられなくて、勝手に申し訳なくなってる。

 

他人のことに干渉しすぎるからなのか、なんなのか。

わからんけど、もうちょっと他人ごとって枠組みにぶち込んでもいい気がするんだ。自分が苦しいんだからそろそろ変えてけよって思ってる。

もうちょっと強く生きてみることにする。

 

ドギョムも言ってたもん、

「すべての言葉を機にして過ごしてたら、すごく疲れちゃうじゃないですか。自分自身がすごく疲れる道には(ファンにも)進んでいただきたくないです。」って。!!!!

 

他人の言葉を聞き流す方法も、探してみよう。自己防衛のためにも。