avectoi17’s blog

関西の大学3年生!私の思惑ブログ。

「幸せ」について考える

 

思ったより長くなったので軽くもくじ打っておきます…^^

 

3本立てで幸せについて考えた。

⑴授業で紹介されたマザー・テレサのことば

⑵「運転者」という本から学んだ運の捉え方

⑶「幸せについて僕が考えたこと」という楽曲から得た感動と改めて考えた幸せについて

 

マザーテレサの言葉が授業の結びで紹介された。

 

「まず、

『自分が幸せにならなければ、人を幸せになんかできない』

という思い込みを捨てる必要があるかもしれない。

なぜなら、人のン幸せを手伝うことから

自分の幸せも始まっていくのだから。」

 

 

 

「獲得すること」による幸せから

「贈与すること」による幸せへ

って書いてあった。

 

人は自分が満たされてからではないと、他人を幸せにできない、というのは違っていて、人は他人に与えることによって得られる幸せがある、ということ。

 

ーーーーー

 

お金で何かを買うことで感じる幸せよりも、人に何かをして差し上げたときに感じる幸せの方が長い時間持続するというのは最近ではよく耳にする話だ。(幸せ=幸福感)

 

これにはかなり納得するし共感するし、実体験からも明らかである。

 

幸福感と充足感、満足感とどのような関係性にあるんだろうって考えた。

私はほぼイコールの関係性だと思うんだけど…

自分が満ち足りていたり、充実感があったりすると、幸せだなぁって思う。

その余裕はどこから生まれるんだろうって思うと、心の余裕でしょ。

心がかつかつだったら不機嫌でいて、不機嫌な人は何をやっても充足感も満足感も感じないから。(充足感も満足感も同じことを指してる気がする…充足感は物が足りていること?満足感は心が満たされていること…??)

 

この前、「運転者」という本を読んだ。鳥肌ものだった。そして考え方が変わった。

誰かに話したくてここに書いてみる。

 

運転者と聞くと、タクシードライバーとかそういうのを思い浮かべるだろう。

「運」を「転」じる「者」ということだった。

 

「運がいい」と言いがちだが、運は「いい、わるい」で表すものでなく、「貯める、使う」と考えるというもの。

運は貯めて使うものらしい。一見、運がいいように見えている人もどこかで運を貯めてきた、あるいは誰かが運を分けてくれてたからそう見えるだけで、その運を使っているだけだと考える、というものだった。

そしてその運を転換するタイミングは上機嫌であればあるほど何度も舞い込んできて、運をうまく使いたいのであれば上機嫌でいることが大事らしい。

 

確かに不機嫌な人には気運も逃げていきそう。確かに不機嫌そうな人には運が落ちていても気づくことなく過ぎてしまいそう。

そう思うと上機嫌でいることはめっちゃ大事だなと…

 

その本を読んでから上機嫌でいることを心掛けている。

運を転じるために上機嫌でいる、そんな姿勢でいると確かに気分はいいし、新しい繋がりができたり、少しずつ物事をポジティブに捉えられるようになった気がする。

そんなちょっとした変化がもっともっと私の運を転じてくれるのかななんて思うともっとわくわくしてくる。

そしてもっと運を貯めるために、善い行いをしようと思える。

そういう心がけをしてると、大阪駅で道に迷ってる外国人観光客や困っているように見える視覚障がいの方やご老人に自分から声を掛けられるようになった。

 

運が貯まってるかなってわくわくする。見えないからこそ、そしていつ使うことになるのかもわからないからこそ、まだかなまだかなと胸を膨らませている。

 

そういう心持でいると、上機嫌で自然に誰かに難化をして差し上げて、それが回りまわって自分の運を貯めることになっていつかはその貯めた運を使うことになって、また上機嫌になって…っていう最高のサイクルができあがるなぁなんて考えてた。

てなると、私も周りのみんなも幸せになるんじゃない?なんて安直に考えた。

 

それからね、最近ヘビロテしてる「幸せについて僕が考えたこと」っていう難病を患っている井上弦くんが作詞した楽曲を紹介したい。

歌声がいいのは言うまでもないんだけど歌詞が本当に刺さる。

「そうさ皆そうさ今しか生きれない、そうさ皆そうさ今を抱きしめればいい

それに気づけたことで僕は、世界一幸せになれたよ」

今ある当たり前に気づけたことが幸せって結論付けてて改めて自分の人生を捉えなおせた。はじめは歌詞を噛みしめるように聴いて鳥肌が立った。

 

こうやって最近の私は「幸せ」に対する感度が高いみたい。

おかげさまでなんだか最近は上機嫌で些細なことも幸せに感じることも増えた。

幸せへの感度も高めて、上機嫌でいて、誰かに何かをして差し上げることで運を貯めることができる、これが最高な幸せな生き方なのではないかなと今の私は思う。

 

 

⑴授業でのマザーテレサの言葉と教授からの言葉

⑵「運転者」から得た運の捉え方

⑶「幸せについて僕が考えたこと」から得た幸せについて

の3本だてて盛りだくさんの内容でお送りしましたが、久々にとーってもまとまった!って感じになって今は清々しい気分。

やらないといけないことが山積みなのにブログ書くことを優先してしまうくらいに書きたかった内容だったから達成感がすごい、嬉しい。

 

誰かの何かの足しになれば嬉しいな…

 

ーーーーー

 

ps: 「してあげる」という表現が苦手。

「して差し上げる」、という、ちょっと言葉足しただけやーんって感じかもしれないけれど、「してあげる」は上から感があるのに対して「して差し上げる」は同等の感じがあるから好き。誰かに何かを施すことで自分も何かを得ることができるんだから、誰かに何かをするという行為には上も下もなく、同等の立場で居られるのがベストだなと思う。そういう言葉の端々にも考え方が投影されるんだから、日々の言葉遣いにもちょっとずつでいいから気を回していきたいななんて思った今日この頃でした。

 

長い…2000文字超えた。このへんでおわり。

また不定期に更新していく~!!!!

みんなの幸せについても教えてほしいなと思ったよ~