avectoi17’s blog

関西の大学3年生!私の思惑ブログ。

たしかにいつも明日はやってくる

 

 

「たしかにいつも明日はやってくる

でももしそれがわたしの勘違いで

今日で全てが終わるのだとしたら

 

わたしは今日

どんなにあなたを愛しているか

伝えたい

 

そして

わたしたちは

忘れないようにしたい」

 

これはとある火災で命を落とした消防士が肌身は出さず持っていた言葉だそうです。

 

刺さりますね、ものすごく。

普段から素直じゃない私は(母親から素直じゃないうえに生意気な娘って言われてる)両親に対してありがとうを常に欠かしてたし、ごめんも言えなかったし、なんだか気恥ずかしくてなかなか言えなかったんです。それに自分の気持は殆ど隠してしまって、どれが本心なのか自分でも自分を欺きすぎてわからなくなっていたんですよね。

 

一人暮らしを始めて、両親や家族の存在が毎日のあたりまえじゃなくなってからは結構頻繁にありがとう、ごめんを言えるようになりました。

 

「おいしい」この言葉はなんだかなかなか言えなかった言葉でした。言えばいいのに、言ってもらえると嬉しいのに、それを知っているのに、なんだか気恥ずかしくて言えなかったんですよねこれまでは。でも言えるようになった。

 

当たり前が当たり前じゃなくなった時、その存在の有難さに気が付くんだなと実感しました。

 

 

アルバイトをしていて、とあるおじいさんに説教されたことがあります。(怒られたんじゃなくて教えを説かれたことがあるんです)

 

「お姉ちゃん、当たり前の反対は何かわかる?」って。

なんでしょう…??当たり前の反対か、普通とかいつもとかそういう感じですかね、と答えると

「当たり前の反対は“ありがたい”ってことやで」って。

なんだか説得力があった。

 

 

消防士さんの話とこのおじいさんのお話とが相まって、当たり前だと思っている、当たり前にいて、当たり前に大切な人たちには素直でいうようって思ったんですよね。ちょうど同時期に出会った言葉たちだったので。当たり前はいつ当たり前じゃなくなってもおかしくないのに、その当たり前を明日もこれからも確約しているわけじゃないのに、どうしてこういつも当たり前だと勘違いして後回しにしてしまうんだろうって考えると、やっぱり「当たり前」への「ありがたさ」を忘れているからだと思ったんです。

 

これからはできるだけホットな気持ちを温かいうちにお届けしたいなって思いました。特に当たり前に大切な人たち宛には。

バイトの分際で異動した話-人生の大先輩からの有難いお言葉

 

前のお店でのラストの日。

前のお店が開店してから今までずっと働いておられる主婦さんがいたんよ。お孫さんがいるとか。そんな〇〇さんは本当に面倒見がよくて、人の動きをよく見ていて、いいところはものすごく褒めてくれて、ダメなところはだめだとはっきり言ってくださる、そんなあのお店のおばあちゃんというか、そんな素敵な人がいたんよね。

 

誰かから〇〇さんがあなたのこと、気の利く子や~ってめっちゃ褒めてたでって言ってくれたんよ。そう思ったエピソードも添えて。そんな細かいところまで見てくれてるんや!!って思ったし、それを他の人に伝えてくれてたなんてって驚いちゃった。

 

そんな〇〇さんは、ラスト出勤の日に私に向けて5分ほど、人生の先輩として話をしてくれた。(卒業していく学生バイトにはいつもする話だそう。)

 

 

 

「好かれようとはしなくていい。嫌われない努力をしなさい。」

 

人に好かれようと媚び売ったり、いい人面したりしなくていい。ただ、嫌われるとなると都合が悪いことが多い。素直に、元気に、誠実に過ごしてれば嫌われるべきじゃない人に嫌われることはないと思う。あとニコニコしてるのをみて気が悪くなる人はいない。だからぶすっとしとらんとにこにこしながら気遣いのできるような人になりなさい。あなたはよく気が利くし、面倒見もいいし、周りをよく見てるし、にこにこして素直やから心配はしてないけど、色んな人がおるからね。頑張るんやで。

 

あといい男見つけよ~!

 

 

 

こう言ってくれた。

好かれようとしなくていいって言われて、なんかすんってした。嫌われない努力をする方が得意かもしれない。こう、細かいところまで見ててくれて、ほんと半年間しか一緒に働いてないのに温かい言葉をくださって、いいところにいたんだなって。嬉しかったって話。

アルバイトの分際で転勤した話。

 

 

私は7月からとある飲食店でアルバイトをしている。少し遠いところで働いていた。家の扉を開けてから「出勤」と打刻するまで1時間とちょっとかかる。個人的には10分くらいが理想だった。

 

電車に5分揺られ、バスに10分揺られお店に辿り着き、30分かけて着物に着替える。(最初は冗談抜きに着付けに1時間かかっていた)インの1時間前に更衣室にいなければ間に合わない、みたいな感じだった。でも私の場合、省くとこは即座に省いてしまったので最短10分で着替えたこともある。

 

交通費は全額支給じゃないし、私以外みんな自転車で来てるし、みんな実家暮らしだし、なんか他店と比べて時給が低いし、で、遠いからとの理由で店長に転勤の相談をした。大忙しの年末年始はいてほしい、それ以降の移動ならエリアマネージャーに相談する、と言ってくれたのでルンルンで承諾した。

 

このお店では本当に、人に恵まれすぎていた。同期はたくさんいたし、1回生も今では6人になっていたし、学生バイトは仲良しですごく楽しくて、主婦さんも面倒見の良い、楽しい人が多かった。加えて店長も事情をよく理解してくださる方で、私のことは両親から預かっているって認識でたくさんお世話になった。料理長や副料理長、デシャップの方でさえ、私は大好きで、厨房関連の方々ともたくさん笑いながら働いてきた。個々の常連さんとも話ができるようになっていて、またいらしたんですね!なんて声を掛けられるようになった。

 

年末年始の繁忙期には馬鹿忙しかったけど6連勤を終えて、前の店舗とはさようならした。

 

最終日は店長の誕生日だったので店長はお休みでした。残念っ!!

 

もともと住まいの近く?(と言っても少し距離があるけれど)の店舗に移動したかったのだが、たまたまエリアマネージャーの方からこっちの店舗に移らないか?との話をいただいた。そのお店ではコロナの影響を最大限に受けていて、人手が足りないとの状況だった。時給も上がるし、人も足りてないし、どうだろう?って。

 

時給が上がるのは万々歳だったが人手が足りていないって聞いて、役に立ちたい!そう思った自分がいたのは間違いなかった。(少し美化しすぎたかもしれないけど、実際に応援要員としてそのお店で働いたとき、ここで働きたいと強く思った)

 

私がもともといたお店はファミリーのお客さんが多く、割とゆったりとしたところだったが、これからのお店はオフィス街にあり、接待とかで使われるようなオジサン率高めなお店で、割とせかせかとしていた。(2軒目にいくから何時まで、とか接待とかでピリピリしてるから早く飲み物もっていかないと、とか)でもお酒が入ってしまえばこっちのもんで、会社のお金を使っているのもあってか、気が大きくなったオジサンたちはたくさん話をしてくれて、たくさん注文してくれて、どんどん金額が大きくなるし、色んな経験談とかお話を聞かせてくれる。個人的にはオジサンと話すことに対してそこまで抵抗がないから、というかむしろ得意だから、無言でいられるよりずっといい。

 

確かに前のお店での人間関係は本当に良好で、同期は最高で、「バイト先の人」だけでは収まりきらないほど大好きな人たちで、そんな人たちと離れるのは少し寂しかったけれど、新たな環境に身を置いて、また一から人間関係を作っていくってところに関してはワクワクでいっぱいだ。

 

これから新しい着物に身を包んで、新しい環境の中でどんどん成長していけたらなって思う。学びのあるバイトって楽しいねすごく。

 

 

独占欲の化身

 

独占欲が強い。これは私の大きな特徴のひとつだ。
嫉妬しがち。これも独占欲が強いという私の大きな特徴の副産物的な特徴だ。

そんな自分の性格は認めたくはないけれど、仲の良い友人からはそう分析され、自覚せざるを得ない状況だ。
相手が恋人ではなく友人であっても、その友人が親しい私とは別の友人と遊んでいるときでさえ嫉妬するのだ。自分の嫉妬深さにため息が出る。独占欲が強いが故の嫉妬深さ。これはなかなかに鬱陶しい。

私には中高同じの親しすぎる仲の友人が3人いる。大学生になってバラバラの生活を始めてからより一層、彼女らの存在の大きさに気づかされた。彼女らにも彼女らの友人がいる。そんな彼女らが私以外の友人と遊んでいるのをみると、彼女らの口から他の仲良しさんの名前が出ると、途端に自分の存在意義を見失う気がするのだ。これは過剰表現すぎたかもしれないが、少なくともああ、私はこの人の1番にはなれないんや…って思ってしまうほどに「重い」人間なのだ。

自分でもため息が出てしまう。

誰かの「1番」が欲しい。独占権が欲しい。特別枠への招待券が欲しい。
重たすぎるけれど、そう願ってしまうほど人を信じることへの大きな恐れが私にはある。

人に裏切られたとか人が信じられないとかそういうことではない。ただ、確実性が欲しくて。ただ、安心材料が欲しくて。ただ、私のことを絶対に大切にしてくれる人が欲しくて。

ああ、文字に起こせば起こすほどものすごく自分の執着心の強さと言うか、独占欲の強さと言うか、重たさが際立ってきてしまう…けれどこれが私の本心だったりする。
だから、この人の1番にはなれない、特別枠へ招待してもらえない、そう思うと咄嗟にその人に興味がなくなってしまうのも私の短所のひとつだと思う。

私にとっての1番の枠も一つしかないし、特別枠も数が限られているというのに相手にそれを求めるなんて馬鹿げている。そう思うのに。

だから私は勝手に、相手の「〇〇枠、1番」って位置づけで自分を納得させようとする。そんなことでもしないと自分がなくなってしまいそうで、自分の存在意義を見失ってしまいそうで。

「あなたが特別だ」「あなたが一番だ」その言葉に安心を求める私は、本当に愚かなのだろうか。そんな見た目は薄っぺらい言葉であっても私はそれにすがりたくなるくらい脆い人間なのだ。

それに気が付いてからこれまで、私は自分の居場所を探し続けてきた。

これからもそんな私をも受け入れてくれて、大切にしてくれるような人たちの中に自ら身を置きたいと思う。私は私らしく、こんな私の一面をも自分だと受け入れられるように生きていきたいな。

らしさ

 

私は「晴香らしいね」と言われるとなんだかものすごく誇らしい気分になるんです。
以前までの幼稚で生意気でひねくれものだった私は、そういわれるたびに私の何を知っていてそんなこと言ってくるんだ、と思ったものでした。ひねくれてる…(笑)

だけどだんだんと「私らしい」ことの特別感というか、その素晴らしさというか、そういうのを理解し始めたんです。そして、ああー〇〇らしいってそういうことか!と腑に落ちた瞬間に出会うことも増え、自分も〇〇らしくていいね!と発するようにもなりました。

何様のつもりで「あなたらしい~~だね!」と言ってるんだ、自分…となることもあるけれど、それがいかに特別であなたにしか出せない味というか雰囲気というか、あなただからこそできたそれを表現する最上級の方法が「あなたらしい」という言葉なんじゃないかなって思うんです。

私の所属先では「らしさ」に溢れてる人がたくさんいます。
中高では自分の仲の良い人たちと群れて、自分色を隠してみんなの色に染まろうと必死だった人が多いと思います。でも大学生になって、クラスに縛られず自由を手に入れたみんなの多くがその隠していた自分色を発揮し始めるように思います。ああ、そんな「あなた」を隠し持っていたのか、と気づくこともしばしば。もっと早く知っておきたかったなと思うけれど、隠し持っていたものを今更発掘されていってるのも面白いなって思います。

「らしさ」が一番よく見えるのは言葉の選び方だと思っています。褒め言葉ひとつとっても「らしさ」で溢れています。語彙や感性、これまで触れてきたものや経験を総動員して、一言ひとことを取捨選択してそのとき、その状況にぴったりの言葉を選び出してきますよね。この引き出しの種類とか多さとかは本当に人それぞれで、だからこそ発される言葉に「らしさ」がにじみ出てくるんです。言葉って本当に面白い。

選び抜かれて発された言葉には「らしさ」が詰まっていて、それを受け取って人は言葉ごとその人らしさを感じることができるんです。この一瞬一瞬と、私宛の言葉は大好きです。

特に私の所属先のりんごおばけ先輩とかけろっぴ先輩の選ぶ言葉が大好きで、いつもあたたかみと「らしさ」を感じます。そして言おうとしていることが文面からでもひしひしと伝わってくるし、気持ちと人格がそのまま文章に表れてるんです。

いつもいつも「らしい」言葉をかけてくれてありがとう!!みんな!!!!!

出会えなかった自分を想像する

 

選択をしなければならない状況に置かれたとき、必ず選択肢すべての未来とメリット、デメリットを想像するだろう。そしてできるだけ想像できる良い未来の実現を、またはメリットの多いほう、デメリットの少ないほう、を選択しようとするだろう。

以前書いたように、とある先輩からいただいた考え方から、私は選択を余儀なくされているということは、何かを諦めなければならないということと同値であるのだと考えるようになった。

選択しなかった自分の選択肢の先をいくら想像してもそれは想像に過ぎないのだ。あの時、別の道を選んでいたら…なんて考えるのはナンセンスだ。

時空を超えたドラマで、過去を変える、というのはよくあるが、果たしてそれまで進んできた人生はなかったことになるのか?と思ったり、パラレルワールドは存在するのか?と考えたり。時空超える系のフィクションって定義が難しすぎてどこかで辻褄合わないからモヤモヤする…(笑)

だからこそ想像を巡らせることは面白いんだと思う。自分の空想でしかない世界と実現した今ある世界とのギャップを感じてわからん!!ってなるのがなんとももどかしく、面白い体験だなと思うのだ。

たとえば、好意を抱いていた相手に告白するかどうかの選択を迫られたとき、相手も自分に対して好意を抱いてくれてれば付き合おうってなるかもだし、もしそうじゃなかったらこれまで築き上げてきた人間関係が崩れるかもしれない。たとえ相手も自分に好意を抱いてくれていたとしても付き合おう、とはならないかもだし、同じような好意を抱いてくれていなくても告白したことで相手の気持ちも変わるかもしれない。あの人の恋人になれるかもしれないし、友達としての人間関係も崩れて疎遠になってしまうかもしれない。
もし「告白しない」という選択をしたとして、その相手に恋人ができたとすると、あの時告白してたらもしかしたらその人の横にいるのは自分だったかもしれないと後悔するかもしれないし、案外すっきりとして自分は好意を寄せていると勘違いしていたかもしれないと気が付くかもしれないし。(「かもしれない」の渋滞で読みにくいよね…耐えて…)

全部未知すぎてそれ以上先に進むことはできないけど、自分の決めた選択とは別の選択肢の先を辿るのってものすごく大変で興味深いなぁと最近ぼーっとしながら考えてる。さっむい真っ暗な自分の部屋で物思いに耽る深夜2時は何とも言えない贅沢な気分!!

出会えなかった自分に焦点を当てて想像していると自分の現在地がわからなくなるけど、そんなごちゃごちゃの中からこれからの自分とか今の自分的に正解を辿った自分とか探すのが面白い。今の自分的に正解を辿った自分って、切り取る「今」によって全然変動するから人生に正解なんてないんだなって思う。

ここまでくると、僕だけの正解を探しに行くんだって言ってた野田洋次郎の気持もわかるし、私の選んだ道を正解だと思えるようにサポートするのが自分の仕事だと言ってくれた先輩の言葉にも納得だ。

何が良かったか何が正解かなんて後になってもわからないのに選ぶときにわかるはずがない。それなら選んだ道を正解にすると正解を選んだことになるって考え方、いいね!!って。私の評価基準、見つけましたっ!!

余命1週間

 

これを文章にして残そうかどうか迷いましたが、忘れたくない、私にとって大事な出来事だったので残しておくことにしました!

先日、私の祖母が亡くなった。長い間入院していた祖母だ。母から「余命宣告があった。1週間やって…」という電話がかかってきた。
ああ、そうなん…そっか…とだけ言えた。
「心づもりだけしておいて」と、それだけ話して電話を切った。

先が真っ暗になった。コロナも相まって病院には入れず、入院している祖母に2年間会えずにいた。そして祖母は私が多忙だと気遣って連絡してくることもなかった。そんな祖母のことを知りながら私から連絡を入れることも殆どなかったのだ。これには後悔してもしきれないなって。

母から連絡のあった翌日、叔母から「おばあちゃんが亡くなりました」との連絡がきた。そんなに急か、と。昨日の今日でそんなことが?と。理解できずにいた。人が亡くなるってこんなにもあっけないんだなって。

なにより、2年間も顔を合わせていない、連絡を取っていない祖母だ。
それの何が問題かって、祖母の他界によって私の日常が何も変わることがないということ。
人の死ってそんなものなのかと知って悲しくなった。

祖母の孫は私たち兄弟を含めて10人いるが、その中で私は唯一の女孫なのだ。だからこそ、より私のことを気にかけてくれていて、私の頑張りを一番に認めてくれて、私のやることやること全部に大絶賛して応援してくれていた。今思えばそんな祖母は私の応援団長だったのだろう。そして私はそんな祖母の存在に支えられていたのだと、その存在がいなくなったと知って初めて気が付いたのだ。「大切なものは失ってから初めて気が付く」とはこのことだろう。

祖母のために何もできなかったのは悔やまれる。はるかちゃん!はるかちゃん!と呼んでくれていた祖母の声は今でも鮮明に思い出されるし、はるかちゃんは自慢の孫やわぁといつも褒めてくれていた祖母を想うと懐かしいにおいがする。

今にも起き上がって「はーるかちゃん!」と声をかけてくれそうなくらい安らかだった。
通夜の前日、祖母と同じ部屋で寝た。その夜、私はずっと夢を見ていた。不思議な夢だ。夢の舞台はまさにここ、今と同じ状況で、横には同じように母と弟たちがいて、いつものようにみんなで大爆笑が起きていた。私の夢はいつも音は殆どなく、あまり周りをみていない自分目線のものである。状況はほとんど見えないがとにかくみんなでいつものように大爆笑をしている中で、確実に祖母が眠っている方向から祖母の笑い声が聞こえてきたのだ。「はーるかちゃん!」という祖母の声も。目を覚ましても夢と同じような光景が広がっていて、また眠っても同じような状況が起き続けた。嘘のような本当の話で、その日はあまり眠れずにいたが、なんだか心が軽かった。

そんな不思議な出来事とたくさん流した涙のおかげで無事、祖母を送り出すことができた。
ああ、こんなにも呆気ないのかと思ったし、祖母の他界を機に私の日常が変わるということがないという事実に心底心を痛めていたが、そんな思いも全部、祖母が受け入れてくれているんじゃないかななんて自分勝手に解釈することにした。

私の大の味方である祖母の突然の死は私にとってはかなり大きな出来事だったが、おかげで気づかされたこともたくさんあった。これも祖母が私に遺してくれたものなんだろうなと思う。自分勝手すぎるだろうか。こんな私をも受け入れてくれる、それが私の自慢の祖母なのだ。

なんでも「おじいちゃんが言ってるんやから間違いないんや!」という姿勢だった祖母。
「はるかちゃんは自慢の孫だ!」と言い続けてくれた祖母。
そしてなにより、自身の夫である祖父や、娘たちである母や叔母たち、10人もいる孫たちである私たちや、娘婿である叔父たちみんなをいつも見守り、背中を押して支え続けた私の祖母はいつまでも私の自慢の祖母で、尊敬する私の祖母なのだ。

私も祖母のように「心から全力でだれかを信じられる」人になりたいと思う。